娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

米のイキリオタクにより「文化の盗用」への意識の高さを理解した話

よく外国はポリコレ的だし映画の俳優の人種についても議論されるしで「表現の自由がなさそう」「それに比べて日本は自由」などなどの言説をさほど違和感なく受け入れていたわけです。


ギルティギアの新作では、「ラムレザルというキャラは黒人なので、白人である私は役を降ります」とした現地の吹き替え声優の方もいらっしゃいました。
そういうのを見ると、「いや、キャラは黒人じゃないし褐色じゃん……フィクションの人物を現実の人物に置き換えて考えてしまうのか?」「あくまで現実の延長線上でフィクションを見てるのかぁ」と思ったりして結構ゲンナリしてたんですよ。今でもこの考えはある程度当たっているのではないかとすら思ってます。


しかしながら、外国、特にアメリカが文化の盗用に敏感なのは、そうして自制や自己認識をしていないと危険な文化的下地があるんじゃないか?
ということに気づかされました。
イキリオタクのお陰で。


というのも、アメリカとかのイキリオタクって日本のイキリとはスケールが違うんですよね。
日本のイキリ、特にオタクに限定したら一言で言えば「性格が悪いだけ」じゃないですか。
如何にも「ぼくのかんがえたさいきょうのわるぐち」で他人の気分を害そうとしたり、大喜利をして身内でウケたり、精々がせせら笑う単なる精神活動の一環じゃないですか。


それにより追い込まれてしまう人間もいますけど、裏を返せば集まって初めて害になる有象無象に過ぎないわけです。
単に精神のタガが外れて結果的に言葉をエスカレーションさせただけにすぎない。


が、フロンティアスピリット溢れる方々は違うんですよね。


アメリカなどの成功者インタビューなどでよく見かけるフレーズがあります。

暗黙の了解を疑う、常識を覆して成功、

それらを一言でいえば「ルールを壊す」。


成功者がルールを疑い成果を上げた、といえば実に聞こえは良い。特にルールに雁字搦めにされて、慣習で疲弊しているときに聞けば聞くほど輝いて見えるフレーズです。


しかしながら、このルールを壊す、疑うが悪い方向に向かったらどうなるでしょうか?


マスクをしないで密になる、とかなわけですよ。


感染症対策でマスクをしましょう。
あんなことすら日本の比ではないくらいに抵抗している様はニュースでよく見かけますね。


実際割合としてはどの程度のものか存じないですが、まあマスクが原因で死傷事件まで出てるんだから相当なものでしょう。


ルールを疑うほどの自由はイノベーションを起こしやすい反面、自尊心と独立心の暴走を引き起こす。
自由を容認するということは、同時に痛みも許容しなければならない現実ですよね。


つまり、アメリカなどのオタクはこの強すぎる独立心を元に行動している、というわけ。
だからこそ、彼らの起こすトラブルは桁違いだし、制御不能ですよ。


以前、女性上位専門の個人エロサイトであったことなんですが。
海外のオタクと揉めたわけです。
このサイトのキャラで男性が主導権を握ったり、残酷な二次創作は禁止、のようなルールを管理人が打ち立てていたわけです。
が、海外のオタクはこれをやる。管理人は注意する。だがやめない!


詳しい顛末は知りませんが、つまり彼らにとってルールを作るものに対して優位性を認めてないし、自分の理由を強いるルールを強く拒否しているんです。
去年、アメリカで生きる黒人視点を体験する動画だがゲームだかがありまして、警察に職務質問されたときの選択肢の中に「大人しく従う」といったものがない! と指摘している方がいました。こういう選択肢がないことに黒人の暴動の原因があるよね、という皮肉ですよね。


自分は不当な行為を受けてるから従うと奴隷同然である、といった考えでもあるのかなと思ってたんですが、違うかもしれないんですよね。
「もしかしてアメリカ人の国民柄として、自分を制限するものには従わない」独立心が根付いているんじゃないか、ってことなんですよ。


これって恐ろしくないですか?

日本でも表現の自由論争は根強いです。規制法案なんてあったら大反対。ゾーニングとか寝言を言うなとばかりにいつも紛糾しますよね。で、実際問題、日本のサブカルにおける表現はよくもわるくも自由ですよね。年齢幅が倫理観まで、マイナーだったり風当たりが強いものこそあれど、本屋の漫画コーナーに行くだけで幅広いものがあります。


それは文化としての優劣には関係ないですが、事実として相対的な自由度は高いはずです。

しかしながら、それは無法とイコールではありません。

自由を守り表現をしますが、制定されたルールがあれば遵守します。そこから逸脱したら対処を獲ります。ただ、ルールから外れてないが倫理観や社会道徳と照り合わせたときの拘束力のない偏見から来る制限には抵抗します。

しかし、こうして表現を守ろうとして社会道徳と戦っているのに法律制定などに抵抗するのは、逆に言えば制定されたら従うことの裏返しでもあります。


日本の二次創作はグレー文化であります。だめ、といわれたら止めることを前提にして黙認で成り立っています。これは「ダメ」といわれたら止める、といったことを念頭に置いているため、怒られないように活動するわけです。

が、最近は公式が禁止したら怒る人もいますよね。彼らは総じてバカ呼ばわりされますし、実際バカでしょう。愚かです。が、それは一過性の愚かさです。5秒先の性欲のはけ口をうしなって短期的に怒っているだけで、数日もしたら消えている、単なる自分の欲望を邪魔されたことに対して不快感を抱いただけの思想なき浅慮な反発です。


なのに外国の場合、この反発が思想に後押しされるかたちでされるわけですよ。

ルールには従わない!
暗黙の了解を疑え!
俺は何者にも縛られない!

むしろルールを守る人間には「本気か!?」と驚き、「信じられない」と蔑み、「おまえらがルールを守ってる時に自由に楽しませてもらうぜw」と。


日本では無断転載禁止、とか規約違反には罰金します、なんて言葉が抑止力になりますが、彼らは公式が二次創作のガイドラインを出そうが「誰が守るか、バカかよ」ですし、様々な手段で難を逃れるわけ。


こういう手合いが出たら手が付けられないですよね。

日本ではマナーなどの学級会がよく行われますが、あくまで共通の趣味を持つ人間同志での了解を作ろう、という趣旨の相談です。
日本では、コミュニティによる社会活動をおこなうための最低限の規定を守れない人間たちを相手にしてるわけではありません。そんな手合いが出たら、もう法律を出さないと対処できないし、それは金と時間と労力がかかります。
結果、日本国外の人間はウマ娘のようなガイドラインが出てても、あの手この手で自分のルール破りを正当化して自由に振る舞います。



さっすが迫害と建国の歴史を持つ方々は言うことが違ってらっしゃる……というのはもちろん冗談ですが、お国柄としてルール破りと権力への抵抗が思想に組み込まれているのではないか、だから娯楽界隈ですら反抗ごっこ遊びを繰り広げているのではないか、と思ったわけです。


だからこそ、文化の盗用に敏感な層がいるんじゃないか。


どんな思想や下地があれ、その国人間全員がそういう考えのわけがありません。社会性と知能があれば、このルールは疑うがこれは公共や文化のために必要なものなのだ、と判断できます。
ですが、能力の欠如した人間にまでルール破りの常識がインストールされると、このようにバグってしまうわけ。

よって文化の盗用には敏感だし、人種差別など自身の価値観に懐疑を投げかける。そういう人たちがいる。
他国のルールや文化で運用されているものに対して、自分たちの常識により「征服してないか?」と戒め自制するために。


アメリカは自由の国といわれますよね。
ですが表現は言うほど自由とは思いません。
各々がルールを守らずに自由に行動した結果、かつてのコミックコード、酒ならば禁酒法で強制的に抑えつけるはめになったように、自分で自分の遊び場を荒らして不自由にしてしまったのではないか……。
などと思ったわけです。


自由を確保するには関係者が常識とマナーを弁え、見過ごしてもらえる範囲でのお約束で行動する必要があります。不自由こそが自由の確保になるわけで、そこで度を過ぎた自由をおこなう人間がいるせいで少数のバカのために制限をかけ、その他大勢が損をするようになる。プロテクトのかかりすぎたゲームとかね。


遊び場のために個人の自由を我慢して、あくまで無法にならない範囲で行動する。




自由を自分の我が儘を正当化する殴り棒にする。そうすると文化は衰退するのだなー。



というのをアメリカのルール無視イキリオタクの発言を見て実感してしまったのでした。
ルールを破りたいなら就業規則からなにまで破ってくれたまえよ。約束事も守れない自由に酔っ払ったメンタルお子様人間たちにはなんら情報の発信もしないでほしいもんである。マジで。
今回は海外にしぼって行ったけど日本でもこれが出来てるとは思いませんけどね。バカはSNSを見たらいくらでもいる。なにも遵法精神をもてともいわん。でも海外はスケールが違うし、ルールを疑うを勘違いした個人主義の行き着いてしまった自由の果ての不自由を見ちゃった気分だね。

政治ツイートにありがちなセンテンスについて

よくあるじゃないですか?
「主流意見のこの解釈はステレオタイプ! 上は無能下は有能という世界観を守りたいだけ! これが真実! ウオー!」
みたいなやつ。

政治の意見として主流なもの、たとえば、
「日本政府は無能である」
みたいな発言があったとして、
「無能っていわれてるけどこれこれにおいては良いアプローチをしている。ステレオタイプで判断する人は思考停止」
というご指摘がRTされてきたりするのあるじゃないですか?


前は「なるほど! たしかにな!」と無邪気に思っていたんですが、最近そういうのを見ると、まあそういう指摘も的を射てないなと思うようになったんですよ。
何故かと言えば、存在しない人を殴ってるからですよ。


「いや、問題とされる発言をしてる人は実在するじゃん?」と言われたら「する」んですが、糾弾される発言そっくりの考えをしている人は「いない」んですよ。
めんどくさくなってきた。


例えばですけど、こういう「主流(と思われる)政治意見に対するそれは間違った見方だ」とする発言は、それ自体が「自分は冷静に物事を見ている」という自己を正としたバイアスの上でしか言えないんですよ。だって正しくないと思ってないのに間違ってるなんて言えないから。
なので、見ている側の自分としては「そもそもこの人はこう言ってるけど、前提条件としている良いアプローチとされる行動は本当に〝良い〟のか?」となるし、じゃあ仮にそのアプローチが良いとして、ステレオタイプなどの主流意見が間違っているのは別じゃないか?となるんですよ。


この場合、主流意見の間違いを指摘するなら、「主流意見」に対する訂正や問題提起であって、「主流意見を言っている人」にしてはいけないんですよ。
そもそも人を対象にした場合、その人が内心でなにを考えているかわからないからです。


「こうして主流意見的な文句を言っているけど、別のところでは政治を評価しているけど、でもこの側面では主流意見的な解釈をして反対している」だけかもしれません。そもそも人間が発信するとき、「良いことは良いといわなきゃ!」という使命感がなければ、マイナスのことしか言いません。

たとえば通販で買ったものなんて金払ったからには良いものがくるのは当たり前と思ってないですか? だから自分は良い評価のときはよほど飛び抜けてたり「カスみたいなレビューしかねえな!」と思わなきゃ書きません。もっぱら「クソみたいなもん掴まされた!! ゆるさん!! あと犠牲者が増えないように詳細にレポートするか!!!」というときにレビューを書きます。


人間がマイナスなことを発信しているからといって、その人の内面やポジションなんてわからないですよ。もちろん表だって出てくることでしか判断できないわけですし、「この人はマイナス面ばかり表に出す人」とか「この人が表に出すマイナス面は気持ち悪い」=なので本当は良い人かもしれないけど嫌な方を目にする確度が高いので関係を置く、ということはします。そして付き合いが長かったり度がすぎたりすれば、まあこういうことばっか表に出すってことは内面もそうだろうと憶測だってできます。そういう風に人間関係は構築されます。


が、でもそれは真実ではないので。
予想の範囲でしかありません。
だから「人」を対象に揶揄してると的を外しやすく、「意見」単位で物申した方が確実に的を射られるんです。


ここで冒頭に立ち返ると、
「たしかに問題としているステレオタイプなことを言った人はいたかもしれない」

「そのステレオタイプを思考停止で選んだかどうかは別である」
となるわけです。


だから自分は、こうした母数の多い主流意見に対する反対の見方を提示しつつ、なにも考えてないから主流意見を言っているのだと「断定」するのは、それこそが危険な理屈だよなーと思うわけです。
可能性の示唆や「主観として自分はこう〝思っている〟」ならとやかく言われる筋合いはないものの、「思考停止だぞ」とかになったらそれは「客観的真実」になってしまうので。


結局のところ、大勢の気づいていない真実を指摘してやる! という文脈で断言をしてしまうと、ストローマン論法の言い換えのような論理展開になってしまうので危険だし、こういう発言を「そういうのもあるのか」といった視点のひとつとしてではなく、検証と精査もなく「事実」として受け入れてしまうと、後出しジャンケンの理論をすぐ信じ込んでしまい危険が危ない。


出典のない発言なんて検証の手間がかかりすぎるし、だからせめてTwitterなんて媒体で政治発言をするならみっともないくらいに連ツイするしかないんだが、政治駄目だしをするときや反論を横からスッとするインターネッツマンは断言が多い。俺は断言で人を切るのは辻斬りめいて気持ちいいからやっていると思ってるし、複数行書いて突き詰めるとボロがでるから誤魔化してるかのどっちかだと思ってるよ(お手本のような逃げ)。


というわけでTwitterなんて短文メディアではどうしても意見の言い合い(クソの投げ合いともいう)にしかならずなんら会話が成立しないのでやるだけ無駄で、鬱憤晴らしに話題に触れたり信頼できる理性を持ったもの同志で長々と意見交換をしあうくらいしか無理だと思うのだが、わざわざ政治系と銘打ってツイートしてる人は無駄骨なのでやめりゃあいいのにひとりで煮詰まってるだけだよね、という感じでしたとさ。
主流意見を切る!とかやってても仮に話題にしたところでは優秀かもしれないけど別のところではイメージ通りかもしれないので、そういった局所的なところの話しかできないのでな。

にしても政治の話題、
専門分野があったり一部に限定して活動したり「国や政治家を動かしたりするゴール地点」のある人(政治家だったり経済家だったり記事を生業にしてたり)がやるのは一貫性もあり参照性もあり目的地も明確だから無駄とは思わんが
匿名アカウント(つまり一般的ツイッタラー)の政治アカウントがほとんどの、単にヒートしてバトるオチしかないからなにからなにまで徒労で見てて悲しくなるよな。


たまに気になる話題に反応するくらいの一般的趣味アカウントで生きた方が時間が有益ですよね。
ちなみに自分は日本の経済政策はマジでウンコすぎるし寝言かよって思うしワクチンの接種のさせ方も手際悪すぎかよ、と思うけど全国民摂取の目処自体はたちつつ死者が抑えられてるのはいいよねくらいのスタンスです。それはともかく金はくれ。
そんでこの発言でもステレオタイプとそうじゃないところが同居するんだから、一部を切り取って「ステレオタイプ思考停止!」っていえるから無意味なんだよなこの論法はー。他人の気づかない真実を指摘するムーブはやりはじめると快楽だからマジで気をつけた方がいいぜー。

オジュウチョウサンは引退させるべきなのか

すっかり競馬に手をだして二ヶ月程度がすぎましたこんばんは。
元々両親が馬に手を出していたとはいえ自分がこんなにどっぷりハマるとは思いませんでした……。

競馬にハマってから障害レースで活躍するオジュウチョウサンの存在を知ったわけで、先日中山グランドジャンプで軸にして勝負していました。
レースを見た人は知ってのとおり負けてしまったわけですが、その後レースとの関係は不明ですが骨折とのニュースが発表されました。

オジュウチョウサンは既に10歳と競走馬の中では高齢であり、そろそろ引退させろとファンの声が出ました。
で、逆にそこに引退させろというのは無責任、馬主のことや競馬の事情を考えろという声も出ました。


というわけで、Twitterで流れてきたツイートを引用しつつ……

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DMM版ウマ娘を常にフルスクリーンでプレイする

DMM版ウマ娘、画質はいいんだけど縦画面と横画面が混在していて、しかも要所要所でウィンドウを可変させてくるので常にフルスクリーンでプレイできない。
普段はディスプレイを縦にしておいてライブの時はモニタを物理的に回転させてスマホみたいに対応しようかな~ と思っていたので、この仕様に悪戦苦闘。

PCだと育成かライブ、どちらかを犠牲にした状態で遊ぶしかないのかな、とガッカリしていたんですけど有志が公開したソフトを組み合わせればいけそうなのでやってみた。

※現在ではほぼほぼウマドだけで擬似的に再現できます。

目的

 縦型ウィンドウ時は縦にしたモニタに、横型ウィンドウのときは横にしたモニタにゲームをフルスクリーンで表示する

機材

 縦に配置できるモニタ
  →ピポット機能対応か、モニターアームの装着が可能ならモニタならなんでも。Windowsの設定でそのモニタだけ縦に設定しましょう
 横に配置しているモニタ
  →特に言うことなし

使用ツール

 ・BorderlessGaming
  →フルスクリーンに対応してないゲームをフルスクリーンにする。ボーダーレス化も対応
 ・ウマド
  →bironist氏の公開したソフト。ウマ娘のウィンドウの縦横比に応じてウィンドウの位置を任意の位置に自動で移動してくれる。マルチモニタ対応。

設定

 1 ウマ娘、BorderlessGaming、ウマドを起動する
 2 ウマ娘を縦モニタに移動させる
 3 BorderlessGamingでウマ娘を「お気に入り(自動化)」に放り込み、フルスクリーンにする
 4 ウマドの縦長サイズを記録を押下
 5 BorderlessGamingでウマ娘のフルスクリーン化を解除し、横モニタに移動させ、ライブを開始する
 6 BorderlessGamingでウマ娘をフルスクリーン化する
 7 ウマドで横長サイズを記録を押下
 8 上記で完了。あとはウマドの自動サイズ変更を有効化を押下し、実際にウマ娘の解像度変更時に正常に任意のモニタにウィンドウが移動し、フルスクリーン化するか確認する

以上。

縦と横の切り替えを頻繁に行うとBorderless化がされなかったりして手動でフルスクリーンにし直す(ボタン一個押すだけ)必要がでて首を捻っているんですが、改善できそうになかったのでとりあえず現在の環境を共有がてら記載しました。

 ※上記の設定をおわらせたあと、BorderlessGamingでウマ娘をフルスクリーン化させないように「サイズを変更しない」にチェックをいれると、BorderlessGamingがゲームをボーダーレス化し、ウマド側がウィンドウ位置と大きさを調整して擬似的にフルスクリーン化します。こっちの方がいいかも……(要検証)

それにしてもこのDMM版ウマ娘の環境問題、本当にかゆいところに手が届かない状態で……。

BorderlessGamingはフルスクリーン化するモニタをひとつだけ記憶できるので、たとえばウマ娘が解像度変更時にプロセス名を変更してくれているならそれぞれ別の設定を割り当てられるので解決できたのになぁ……ってなやんでました。
ウマドのお陰でなんとか解決したんですが、ふたつのソフトを併用している都合上、結構意図しない挙動もしちゃうんですよね(ボーダーレス化されなくなったり)。

公式側が解決してくれるのが一番なのにな~~~~ と思ってるので期待したいですね
DMM版だけ高解像度化とかもあわせて色々とこう……。

意識じゃなくて機能で解決しなよ

世の中って意識で改善しようとする人間が多すぎないですか?


例えば「連絡を密にする」とか「ここに問題が起こりやすいので気をつける」とか。
一見対策してるっぽく見えるけど、実は対策するのが面倒だから個々人の能力に依存した解決策をしているだけのやつ。
関わる人間が少人数なら意識だけで改善するのはコスパもいいが、これが不特定多数になればなるほど手段としては劣悪になるよね。


……というのを、Twitterでお見かけした鉄道会社の社員らしき人の発言で思ったわけですよ。
隙間の空いたホームドアは子供とかがくぐり抜けてしまう、という苦言に「素人は黙っとれ(DASHスラング)」「そもそも子供から目を離すな」などを正論と認識していってしまっていた。

まず、隙間の空いたホームドアは子供対策の用途で設置されているのではない(=そういった目的意識が違うものに対して、異なる着眼点で苦言を呈するのは素人)という前提条件で話す分には間違っていません。ですが、根本的な誤解として、「そもそも~」を頭につけた反論は九分九厘クソになるよという話もします。


人間にはどうやってもミスは起こるし、不注意はあるし、不幸もあるので、「そもそも」なんて言うだけ無駄です。結果論。「ガスの元栓閉め忘れたかも!」って言ってる人がいたとして「そもそもガスの元栓を毎日チェックするようにしろ」なんて言う奴がいたら嫌でしょう? 常に後出しで他人に勝てる気分になれる言った気になれる文法それが「そもそも」という修飾語なわけです。

どんな人間にも初めて起こしたミスはあるし、そこからチェックフローを作ったりするわけで、その物忘れや不注意による被害が発生する最初の一回目に遭遇した人に対して「そもそも~」と言うわけですね。本当に他人にモノを申すときに「そもそも」を使うのは愚かです


そして、「子供から目を離す」という状況が、上述した不注意や不幸から来る避けがたい状況から来る可能性があるものです。
ただでさえ育児なんて大変なものをしていて、外出しているときに常に気を張っておくなんて不可能です。ただでさえ集中力なんて45分しか持たないって話なのに。

そういった偶然から来る不幸は試行回数が増えれば増えるほど増すし、ましてや子供なんて実質動物みたいな行動するんだから、個人の意識でどうにかなるかといえばなるわけがない。
ならどうするか? 意識じゃなくて機能で果たすのが正です。


なにもしなくても自然と問題の状況にならないように工程をデザインする。これこそが大多数の人間に常に強制力を持って、かつ個々人の能力に由来せず与えられることだから、鉄道などの不特定多数の人間にアプローチするなら当然機能優先です。

鉄道なら、いくら言おうがエスカレーターを歩く人間は歩く。だって階段というデザインをしているんだから、アフォーダンス的には歩くのが正の形をしています。そこに歩くなという意識を啓蒙しても無駄なのは、もう判りきったことです。ここで歩けない昇降手段を用意すれば(エレベーターとか)当然歩かない。これが機能です。


そういったわけで、意識じゃなくて機能で解決しようとするのは、本当に言った気になれる愚かな論理だなぁ、と思いましたとさ。
自分が注意欠陥なので自分の意識なんて信用できないのは前提なんですが、みなさんそんな人間の意識を過大に評価してるんですかね? ビックリ。


まあ、そもそも愚痴垢とか毒舌家っていうのは自分のクソ経験に結びつけて物事を語り、もしかしたらこうなのかもという過程の話をせず、ただ一元的な視点から批判して溜飲を下げることが目的であり、別に問題を明らかにする可能性を示唆するものではありません。ネットに公開されてしまっている喫茶店の片隅で行われた愚痴大会。それの機能はストレス発散であり、正しさを考えてみようというものではないのですが、だからこそ正しさ故の発言だと真に受けてはいけませんし、言ってる当人もそうだと誤解したら話が変わってくるぞってことですね。
鉄道職員だろうがホームドアなどの機能と事故防止の観点のプロではない。肩書きで喋るトークの素人は黙っとれですな。*1

*1:そもそも黙ってろを冗談以外で使っちゃダメだぞ! 疑問やブレイクスルーがでてこなくなるし窮屈になるだけだぞ!

少年漫画のパロディとしての『鬼滅の刃』

鬼滅の刃の大ヒットぶりには日々驚かされるというか最早当たり前すぎて普通に受け入れてしまっている最近なのだけど、それでもこの大衆受けしなさそうと思ってしまった漫画がここまでヒットしているのかぁ、という驚きは常にある。

炭次郎のような少年漫画としては異例に近い出自の主人公などもそうなのだけど、そういうことではなくて。
鬼滅の刃は、そもそも設定が少年漫画という文脈のもとに展開された読者に予備知識を要求する漫画だなと最近気づいたのだ。

そういった作風がコア層じゃなくてマスにまで受けていることにビックリしつつ、話の構成を自覚的に受け取っていなくても、この話を読んだ時点でこれまでの少年漫画の展開が今後も続けられたら違和感を覚えるのかもしれない。創作の価値観のアップデートとはそういうもので、言語化できない違和感として歯車を回し、そして鬼滅の刃は価値観やトレンドを推し進める漫画なのだ。

そして鬼滅の刃が価値観を進めるためにとった、予備知識を求める調理の仕方は少年漫画のパロディだ。

※ここから先は最終話までのネタバレがあります。

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PS5が安い理由

PS5は安い。メッチャ安い。5万高いし値下げ待ちという人を見かけるとズコーッ!!! となるレベルに安い。

いや5万は高いでしょ? と言われても財布の中身と比較した際の相対的な値段で考えたら5万は消して安くないのだが、あのスペックという価値ベースで考えると5万は絶対に安いのだ。


そもそもPS5のGPUを買おうとしたらそれだけで8万もする。CPUなら4万、SSDなら2万、メモリも2万……。
さらに基盤(マザーボード)から電源まで考えたら20万を超えるゲーミングPC相当の性能である。それが4分の1



安い。安すぎる。



っていうか絶対売るほどSONYは赤字である。




大量生産で原価を抑える! という方式はユニクロの発展で認知が広がったと思うんだけど、そもそも服の原価率は30%と低かった。
しかしGPUは元々原価率が50%はあるとらしい。大量生産で安価にするのにも限度がある。



じゃあなんで安くなってるの? 安くしてるの? と言えば、PS5の販売で利益を出そうとしてないのだろう。
そもそもSONYの目的はPS5を売ることではなく、次世代ゲームをプレイさせる手段としてPS5を普及させることにある。*1



様々なメーカーのゲームが販売されればSONYは権利料を得るだろうし、ハードが売れればそれだけソフトが売れてその収益も増え、ソフトが売れるとなれば様々なメーカーが参入し、さらにソフトを目当てに人が入る。好循環である。
さらにハードと比例して周辺機器が売れるので、そこが収益が繋がる。


これが目的をはき違えてPS5単体でマネタイズをする、と考えると、マーケティングは大失敗になる。



前述したようにそもそもスペック的に破格の値段なので、これで黒がでるように値段をあげると一般人が手を出したい! となるものではくなり、マニア向けになってしまう*2
予約などで入手できなかったマニアは俺を含めて業界に貢献してる自負があり、一般人よりもコアなユーザーなので優先されてもいいのではないか*3、俺たちは価値を判るので値段が高くても優先して買うので品薄にならないような値段にしてほしいと身勝手な経済ガン無視の要望を抱いてしまう。



結果、ソフトを買うパイが減る。ソフトの売り上げが伸びないならメーカーが死ぬし、もしくは他のハードに流れてしまう。ソフトがなくなればハードは売れない。市場は死ぬ。



というわけで、短期的な利益ではなく中長期的な視点でマネタイズを考えて値段をつけているはずである。最初に高い値をつけてマニアに売ってから安くすればいいじゃないという声もあるかもしれないが、そんなもの信用をなくすし、最初の印象で「高っ!」となれば一気に自分には縁の無いものというカテゴリにいれられるorライバルに顧客を奪われるので、正直経済的視点のないマニアの自分贔屓といった感想が拭えない。



値段をあげて顧客を限定する高級路線は普通に存在するが、顧客を絞ってでも成立させようとするなら純金PS5(100万円)とかいうレベルの値付けにしなければリスクが上がるだけだし、そもそもゲーム機は単体で売れてもソフトが売れないと意味がない。金持ちであろうが分身はできないので高級路線はそもそもミスマッチである。




でも次世代ゲーム機なんて初期不良が当たり前におこる好きもの向けのものなんだから、値下がりだの高価な買い物だのを許容をできる「覚悟」のある者が買うべきだしイイジャン……なんて思ってしまえばもう危険で消費者に覚悟を求めてる時点で斜陽である。


アーケードゲームだのなんだの、衰退ジャンルは心構えとか覚悟だとか大衆に受けてるものより高尚だのと精神面を尊び始める層が現れ始める。これは自己認識と世間のズレを受け入れるために、自分以外がおかしいと下げることで自分を取り巻く環境に変化をもたらさずにマウントをとり優越感を得るための精神活動である。


PS4はせっかくコンシューマ市場で一人勝ちともいえるくらい売れたのだから*4、その先行者利益を放棄するようなマニア向けをする理由が、マジにまったくない。



というわけでゲーム機は安い。
安いのですぐ売り切れる。
生産量には限度があるのでその状態は続く。
そうならざるを得ないのだ。しょうがない。大人しく苛烈な競争を勝ちきるしかないのだ。


ただ今すぐ出来る入手率アップの方法自体はある。


転売屋を血祭りに上げることである。



www.amazon.co.jp




Amazonでは一時期50万の転売品が流れていたが、現在マケプレはなにも出品されてない。通報、Amazonの対応で消滅したのだろう*5

転売品を見つけた片っ端から通報。
転売屋を抹殺し生活が立ちゆかなくなって死んだ奴らの首を店舗の外に晒して怯えさせるのだ。

それが誰もが幸せに商品を手に入れる確率をあげるための近道である。

*1:というか、ゲームハードは全部そう。

*2:そういうのがゲーミングPCとか自作PCの領分だよね。RTX3090を買おう。

*3:いやでも流石にPSNの活動歴と紐付けて抽選させてくれてもいいんじゃな~い!? とは思うよ!!!

*4:記事投稿現在歴代4位! 最も売れたゲーム機の一覧 - Wikipedia

*5:買ってるヤツがいて消えたとしたら頭初期型PS3