娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

ライザ2、ふともも以外いいところがなかった話

ライザちゃん2、1年放置してたのでようやく開封してプレイしました。PS5で。
大型モニタも買ってサラウンド環境もつくった! こいつは楽しいアトリエ体験になるぜ!
と思っていたのですが。



う~~~~~~~~~~~~~~~ん………………




アトリエ過去最低では? このゲーム…………。



と、かなり個人評では最悪の状況になりました。マジかよ。俺は評判の悪かったマナケミア2すら絶賛した男だぞ。マナケミア3まだ? ちなみにマナケミア1はRPG史においても屈指の作品なのでPS2を買い足してでも各自プレイするように。


システムに粗がありすぎる

ライザ2、別に致命的に悪いシステムなわけではないんですよ。
ストーリーはリアルタイム性の追加になれてないのかレスポンス悪いですけどまあちゃんと楽しいですし、調合も慣れたら中和剤ループするだけで強い武器になるのでわかると楽しいし。


ただ細かいところで詰めが甘いんだな。
たとえば、収集可能オブジェクトは点滅するのですが、これがイベントシーンでも生きてるんですよ。
会話中にピカピカ背景で点滅するオブジェクト。削がれる~~~~~~~~~。


さらに会話はボタン連打でページ送りを出来ず、ワンテンポ間が空く。スキップしてバックログで読めばいいじゃんとかそういうんじゃなくて……パッパッと読みながら演出も見たいってときに凄い困る。


あとライザちゃんが喋りすぎてシンプルにうるさい。
調合悩んでるときも定期的に、しかも短いスパンで喋るので本当にうるさい。しかも台詞パターンは少ない。間を埋めるために入れた仕様が貧相さを出してしまっている……。
あまりに喋りすぎるので調合のときは音をミュートにしてたくらいです。マジでうるさいんだこれが。


テスクチャがちらつくのも困る。
PS5だからかな? 壁とかがチラチラとちらつくことがあって気になる。


あとボイスの音質がおかしい。
主に男キャラ全般のガビガビ声に、ロミィさんのような高い声のビビり音。
ものすごい圧縮かけたような……いやラジオのように一部周波数帯がカットされてるような……。
え、これマジでPS4のゲーム?


カメラの挙動が不自然なのも困る。
フォトモードがあるのに接近したらキャラ透明化、移動中にカメラが近づいても透明化。右スティック動かしたら不自然にライザちゃんの側を素通りする。


ん~~~~~~~~~~~~~~~。


エロ目当てになってレーティングあがらないようにしてるかもしれないですが、単純に挙動が不自然なのが困りすぎます。実際俺はエロ用途にも使いたいが……それ以上の問題がありすぎる。

ゲームデザインおかしくない?

このゲーム、マップを一定以上探索するとマップの中に収集アイテムが現れるのでそれを探すことになるのですが、それ最初から出してちゃダメなの???

本作、過去のアトリエと比べてマジでマップの数が少ないのとこの仕様のせいで同じマップをグールグルと何度も周回させられます。デカイ敵を回避するようなイライラ棒移動をしながら。マジかよ……。
マジでマップ探索するのが苦痛でしたからね。初期は平坦すぎるのがダメかと思ったら後半は複雑化してそれはそれでツラかった。

しかも今回カゴの数が固定なので、すぐにアトリエに戻るんですよ。
選別して捨てればいいんですが、すぐファストトラベルできるので選別のメリットがない。時間かかりすぎ。

もしかして探索を楽しませて探検家の気分を体験させたかったのかもしれないけれど、ダンジョンアタックの楽しさって謎解きとかリソースの管理とかリスク管理とか何が起こるかわからないスリルとか、そういうのじゃないですか。
アトリエのグラと作風では無理だし、いやでも世界樹の迷宮があるからいけるじゃんってなっても、あそこまでしっかりとゲームデザインしてこそなのよな。


結果的にマップを全部見て回るような挙動しないと収集完了せず、しかもそれがないとストーリーが進行しないってアイテム配置はただの作業でしかないのよ。

あと今回の隙間を通るとかの要素、単にテンポがわるいだけでなんのゲーム的感動がなかったです。これがラスアスとかホラー系なら一時的に無防備になることへの恐怖とかメリハリに繋がるんですけど。ライザちゃんがえっちなだけ。その点についてはありがとう。

そしてストーリー

これだよこれこれ!!!! 大問題はここ!!!!!!

なんか変だなとは思ってた。文章が平凡すぎて「これ本当に高橋弥七郎?」って。
前作は好みじゃないけど話として一貫性があって上手かったものの、2は本当にメチャクチャ。


同一の会話イベントの中で同じ話を二回繰り返したり同じセンテンスが頻出したり「え?」と思ってたらライターが代わってました。
吉沢さんです。初代アトリエの人で、ガストに戻ってきた人ですね。


いやーーーーーー……。


マジでストーリーの流れがおかしいんですわ。


同氏の担当したノーラと刻の工房も一周してバッドエンドでぶん投げた幼少時代の思い出があるので相性が悪いだけかもしれませんが、マジで面白くない。


まず前作は田舎の限界集落の若者たちのモラトリアム、っていう現代的な話が書かれたじゃないですか。地域にそういう空気があったら、親が最悪だったら、子供はどうすればいいんだ……と悪童たちが集まって、そこに異邦人という外からの刺激によりモノクロだった世界が動き出す。そういう近代性があったからこそ面白かった。
今作だとライザちゃんなんてタダの考えなしで自由というより無鉄砲な人になっていて、もうそんな空気微塵もない。



今回冒険する理由は、たまたま出会った小動物の元気がなくなっていくので、これを治すために頑張ります



これよ。


マジでこれ。


このために道中で出てくるボスも「邪魔!」って言ってしばくし、ラスボスも結果として出てきてしまったし危険なので倒します、です。なんの因縁もないので名前すら覚えてないよ俺は。イベント回収ミスったので二回も戦ったのに。
これは前作から喋れない危険な生物、という難しい敵なのでしょうがないのかもしれませんが、本当にこの敵と戦う必然性ないなぁ……しかない。ライザたちに背負わされたテーマにふさわしい敵ではない。ただのRPGで便宜上必要だから用意されただけの敵。



確かに世界を救うのが飽きたというコピーにはひかれてアトリエをやったものですが、でも別に鳴き声をあげて意思疎通もとれずすり寄ってくるだけの無償の愛を受けるのを当然とされたキャラ造形しかない、思い入れもクソもあったものではない小動物のために奔走しいたいわけではありません。


いや、もちろん小動物のために頑張るのがダメなわけじゃないんですよ。
むしろ人間のために頑張るより犬猫への愛のために頑張る方が説得力あるくらい。
亡き妻に送られた唯一の家族である犬が殺されたらマフィアくらい滅ぼすわ!!! ってなりますよ。
猫ちゃんに振り回されるのは最高だし猫ちゃんに危害を与えたら人間がいたら滅ぼしますよそりゃあね。


でも物語において、ただすり寄ってくるだけのカワイイなにか、を治すためだけに危険な遺跡を冒険しよう! ってされたら「え?」としかならないわけ。

もちろん冒険はするけど、それって冒険したいからとか明確な目的があるわけではなく、「助けるために仕方なくやってる」に過ぎないわけです。

なのでラスボスが出てきても「このままじゃ問題あるから仕方なく倒します」これだけ。


さすがにラスボス相手らしく啖呵切るけど盛り上がらないんだわ。
ちゃんとシナリオに妥当性があれば世界を滅ぼすラスボスを自分の必修単位のためにしばく! と言ったって盛り上がるけど別にこのゲームにそんなスジの通ったシナリオはない。


そしてこのゲーム、キャッチコピーにもあるように「命を救うって力を失うか」っていうのがテーマなんですが。


これラスボス撃破後にいきなり出てきますからね。
これだけでも「は?」ですが、ライザちゃんは「どうでもいい」と即答しますからね。


「は?」


俺が苦労して錬金レベルあげたのにどうでもいいだと……テメェ……。


もちろん重大な決断を「どうでもいい」と即答する展開にはカタルシスはあるけど、それって身の切るような選択だとわかっているうえで、でも命には替えられないとするのが尊いんじゃないんですか。迷うはずの選択だからこそ、決断に意味がある。


ライザちゃんは別に迷ってない即答してるだけ。そりゃどうでもいいものと大事なものが天秤になれば「どうでもいい」ってなるわな。
ライザちゃんにとっての錬金術ってこういうものなのか、ってため息がでます。もちろん、作中では大事なものとして扱われてますけど、邪推しちゃいますよ。


しかも失われる力は「今回新たに取得した錬金術の力」とかいう小規模なものなので、別にライザちゃんは前作と同等程度の錬金術は使えるし錬金術も今後ふつうに使えます。
なんだこの意味のないキャッチコピー!!!!!


特例でブーストされた能力がなくなるだけじゃん。
しかも今回は主人公続投なのでレベルが1からスタートなのですが、本編中の特別な錬金術の力は前回できてたことの再取得でしかないんですよ。なのでラスボス戦でいきなり「特別な錬金術の力を得ていたはずだが~」といわれて「なんの話?」ってビックリしたくらいです。


なんの力も失ってないですよライザちゃん。
そりゃあまあどうでもいいわな……。

つまり主人公のライザちゃんの性格が大問題なんだよ!!!

ライザちゃん、かわいいです。えっちです。ライザちゃんで何度シコったかわかりません。
でもこの子、シリアス会話になると途端に身勝手なだけの女に成り果てます。

まあ1作目から先人をぼろくそに言う感じ悪い子でしたが、まあ若者が過去のツケを払わされてるといえばそれまでだし、自分が大人の事情に肩入れしてしまうだけと納得できました。
2はライザちゃんの上っ面だけなぞったライザちゃんです。

マジで、本編では何度「考えても仕方ないよ!」って台詞がでてきたのか……。
これで進行して実際に問題がなくても、結果的にうまくいったりしただけで、別にライザちゃんが決断の結果を能力で解決するわけじゃないです。

取り返しのつかない事態はだいたい味方が助けに来てくれたり、真相を教えてくれたりします。
小動物救済の障害の排除しか頭を動かしてない。

しかもヤバイのは、未成年の女の子(パティちゃん)が無理を言って同行しようとしてきたのを快く許可しておいて、その子が死にかけてもまったくなんの貢献もしてなかったところ。小動物がパティちゃんを助けただけでライザちゃんなんもしてない。
そこから何回かメッセージを読み進めると、遺跡調査の危険性や可能性を考察する仲間に対して「考えてもしかたないよ!行こう!」ですよ。


サイコパス??????


もちろんパティちゃんが死にかけたのは当人の不注意ですが、ライザちゃんは自由や本人の意志を尊重するのでオッケーしました。それはいい。でも別になんの責任もとりません。そういうキャラがいてもいいですが、「いいよいいよ~」くらいの軽いノリでリスク無視して承諾するのはソレはただの性格じゃなくて頭が足りてないですよ……。


今作のライザちゃんはこんなんです。3年経っても大人に守られているものの、自分の自主性と能力を過大評価して自意識が過剰になっている思春期の子供のままです。なーんも成長してない。そりゃ責任もとれないのに「自由に生きよう!!!!!」なんて言ってる子がいたら親も「おまえなぁ……」っていいます。

しかも自分の生き方を他人に押し付けはじめるからマジでやばい。
「それはちょっと……」というのはおかしくないけど、貴族と平民の恋を親に邪魔されたパティちゃんにたうすてに「自由にやりなよ!」ですよ。「そんなの酷いよ!文句言ってやめさせよう!」

あのなぁ……。
物事には文化があるわけで、実際に問題があるわけで、責任とれない他人の人生と自分の知らない倫理観によくも自分の正義を押し付けられるなぁ。

しかも解決方法がパティちゃんにクスリを呑ませて本音の感情をぶつけさせるですよ。
これって大人の情状酌量を得てるだけで、なんの自主性もないよ……。
大人の不安と妥当な判断に文句をいいたいなら、「心配する必要はない」と説得する論拠を提示してこそでしょ。


これじゃあダダをこねてお目こぼしもらってるだけ。子供の戦い方です。
むしろそれを一時は拒否していたパティちゃんの方がよっぽど大人です。
※ちなみにパティちゃんは一貫してメチャクチャ良い子でかわいい天使なのでマジでタオをリードする年下系貴族女子カプとして頑張ってほしい。


ほんとにもう、無責任に適当をふかすだけの女、ライザ……。


まあそこまで人格最低なわけじゃなくて、シリアスが絡んでないとちゃんとかわいいですよ。
ただシリアスのリアリティのレベルについていこうとすると身勝手なだけのマイペース女になってしまっているのがライザ2のライザということです。

まとめ

もうこれが本当にダメすぎて、話は雑すぎるしで、マジできつかったです。ゲームは始めたらクリアする主義ですが、ゲーム機を一日も起動できなかったりするくらいモチベがあがらず結構時間かかってしまいました。

ガストちゃん、本当にコーエーと関わってから絶賛できるゲームがないのなんなんですかね……いやもちろん面白いゲームは全然あるんですけどね。アベレージは高いよ……アベレージは……。

とはいえエロは最高だぜ!!!!!!

とはいえエロいのは間違いないよ!!!


太股!
ケツ!


おっぱい!

セラさんの鼠径部!!!

ケツのライン!!!!


これは最高なので、人格者ぶった軽薄な人間の「エロに頼るな」みたいな言葉にはいっっっっっっさい耳を貸さないでほしいですね。そもそもガストちゃんは昔からエロかっただろ寝言は寝ていえ!!!!! ヒロインのスカトロプレイを他社コラボとのゲームでやる会社がエロくねーわけねーだろ!!!!!!!!!!!!!!!!


どうせ人間ならどいつもこいつもマスかいてる猿のくせに同時に「エロは低俗」と低俗な考え方をした人格者のふりをした差別主義者が多いから夜のお仕事の人はコロナの救済でハブられて問題になったりするのだ。エロだろうが泣ける話だろうが政治トークだろうがそれで心が満たされるなら等しく「ポルノ」であって、それが娯楽作品である以上、種類の違いはあっても「ポルノ」というジャンルの中にある小ジャンルにすぎないわけ。


そんなにエロのないご立派なものが見たいなら論文でも読んでろハゲが、って話。
エロをいれると判断した以上それはマーケティングであり性癖であり意志あってのことなので、そのエロを含んだパッケージングが正解なの。


「集客のために迎合してるんだ!!! 本来ならエロはいらないもの!!!」なんて自分本位なことを言ってないで、「あ、これは自分を対象とした作品じゃないんだ」で離れる。劇辛ラーメン店に「辛いのは苦手だから抜いたラーメンもつくれ!!!」みたいに自分の好みに合わせるんじゃなくて好みのものを探してくれ。

米のイキリオタクにより「文化の盗用」への意識の高さを理解した話

よく外国はポリコレ的だし映画の俳優の人種についても議論されるしで「表現の自由がなさそう」「それに比べて日本は自由」などなどの言説をさほど違和感なく受け入れていたわけです。


ギルティギアの新作では、「ラムレザルというキャラは黒人なので、白人である私は役を降ります」とした現地の吹き替え声優の方もいらっしゃいました。
そういうのを見ると、「いや、キャラは黒人じゃないし褐色じゃん……フィクションの人物を現実の人物に置き換えて考えてしまうのか?」「あくまで現実の延長線上でフィクションを見てるのかぁ」と思ったりして結構ゲンナリしてたんですよ。今でもこの考えはある程度当たっているのではないかとすら思ってます。


しかしながら、外国、特にアメリカが文化の盗用に敏感なのは、そうして自制や自己認識をしていないと危険な文化的下地があるんじゃないか?
ということに気づかされました。
イキリオタクのお陰で。


というのも、アメリカとかのイキリオタクって日本のイキリとはスケールが違うんですよね。
日本のイキリ、特にオタクに限定したら一言で言えば「性格が悪いだけ」じゃないですか。
如何にも「ぼくのかんがえたさいきょうのわるぐち」で他人の気分を害そうとしたり、大喜利をして身内でウケたり、精々がせせら笑う単なる精神活動の一環じゃないですか。


それにより追い込まれてしまう人間もいますけど、裏を返せば集まって初めて害になる有象無象に過ぎないわけです。
単に精神のタガが外れて結果的に言葉をエスカレーションさせただけにすぎない。


が、フロンティアスピリット溢れる方々は違うんですよね。


アメリカなどの成功者インタビューなどでよく見かけるフレーズがあります。

暗黙の了解を疑う、常識を覆して成功、

それらを一言でいえば「ルールを壊す」。


成功者がルールを疑い成果を上げた、といえば実に聞こえは良い。特にルールに雁字搦めにされて、慣習で疲弊しているときに聞けば聞くほど輝いて見えるフレーズです。


しかしながら、このルールを壊す、疑うが悪い方向に向かったらどうなるでしょうか?


マスクをしないで密になる、とかなわけですよ。


感染症対策でマスクをしましょう。
あんなことすら日本の比ではないくらいに抵抗している様はニュースでよく見かけますね。


実際割合としてはどの程度のものか存じないですが、まあマスクが原因で死傷事件まで出てるんだから相当なものでしょう。


ルールを疑うほどの自由はイノベーションを起こしやすい反面、自尊心と独立心の暴走を引き起こす。
自由を容認するということは、同時に痛みも許容しなければならない現実ですよね。


つまり、アメリカなどのオタクはこの強すぎる独立心を元に行動している、というわけ。
だからこそ、彼らの起こすトラブルは桁違いだし、制御不能ですよ。


以前、女性上位専門の個人エロサイトであったことなんですが。
海外のオタクと揉めたわけです。
このサイトのキャラで男性が主導権を握ったり、残酷な二次創作は禁止、のようなルールを管理人が打ち立てていたわけです。
が、海外のオタクはこれをやる。管理人は注意する。だがやめない!


詳しい顛末は知りませんが、つまり彼らにとってルールを作るものに対して優位性を認めてないし、自分の理由を強いるルールを強く拒否しているんです。
去年、アメリカで生きる黒人視点を体験する動画だがゲームだかがありまして、警察に職務質問されたときの選択肢の中に「大人しく従う」といったものがない! と指摘している方がいました。こういう選択肢がないことに黒人の暴動の原因があるよね、という皮肉ですよね。


自分は不当な行為を受けてるから従うと奴隷同然である、といった考えでもあるのかなと思ってたんですが、違うかもしれないんですよね。
「もしかしてアメリカ人の国民柄として、自分を制限するものには従わない」独立心が根付いているんじゃないか、ってことなんですよ。


これって恐ろしくないですか?

日本でも表現の自由論争は根強いです。規制法案なんてあったら大反対。ゾーニングとか寝言を言うなとばかりにいつも紛糾しますよね。で、実際問題、日本のサブカルにおける表現はよくもわるくも自由ですよね。年齢幅が倫理観まで、マイナーだったり風当たりが強いものこそあれど、本屋の漫画コーナーに行くだけで幅広いものがあります。


それは文化としての優劣には関係ないですが、事実として相対的な自由度は高いはずです。

しかしながら、それは無法とイコールではありません。

自由を守り表現をしますが、制定されたルールがあれば遵守します。そこから逸脱したら対処を獲ります。ただ、ルールから外れてないが倫理観や社会道徳と照り合わせたときの拘束力のない偏見から来る制限には抵抗します。

しかし、こうして表現を守ろうとして社会道徳と戦っているのに法律制定などに抵抗するのは、逆に言えば制定されたら従うことの裏返しでもあります。


日本の二次創作はグレー文化であります。だめ、といわれたら止めることを前提にして黙認で成り立っています。これは「ダメ」といわれたら止める、といったことを念頭に置いているため、怒られないように活動するわけです。

が、最近は公式が禁止したら怒る人もいますよね。彼らは総じてバカ呼ばわりされますし、実際バカでしょう。愚かです。が、それは一過性の愚かさです。5秒先の性欲のはけ口をうしなって短期的に怒っているだけで、数日もしたら消えている、単なる自分の欲望を邪魔されたことに対して不快感を抱いただけの思想なき浅慮な反発です。


なのに外国の場合、この反発が思想に後押しされるかたちでされるわけですよ。

ルールには従わない!
暗黙の了解を疑え!
俺は何者にも縛られない!

むしろルールを守る人間には「本気か!?」と驚き、「信じられない」と蔑み、「おまえらがルールを守ってる時に自由に楽しませてもらうぜw」と。


日本では無断転載禁止、とか規約違反には罰金します、なんて言葉が抑止力になりますが、彼らは公式が二次創作のガイドラインを出そうが「誰が守るか、バカかよ」ですし、様々な手段で難を逃れるわけ。


こういう手合いが出たら手が付けられないですよね。

日本ではマナーなどの学級会がよく行われますが、あくまで共通の趣味を持つ人間同志での了解を作ろう、という趣旨の相談です。
日本では、コミュニティによる社会活動をおこなうための最低限の規定を守れない人間たちを相手にしてるわけではありません。そんな手合いが出たら、もう法律を出さないと対処できないし、それは金と時間と労力がかかります。
結果、日本国外の人間はウマ娘のようなガイドラインが出てても、あの手この手で自分のルール破りを正当化して自由に振る舞います。



さっすが迫害と建国の歴史を持つ方々は言うことが違ってらっしゃる……というのはもちろん冗談ですが、お国柄としてルール破りと権力への抵抗が思想に組み込まれているのではないか、だから娯楽界隈ですら反抗ごっこ遊びを繰り広げているのではないか、と思ったわけです。


だからこそ、文化の盗用に敏感な層がいるんじゃないか。


どんな思想や下地があれ、その国人間全員がそういう考えのわけがありません。社会性と知能があれば、このルールは疑うがこれは公共や文化のために必要なものなのだ、と判断できます。
ですが、能力の欠如した人間にまでルール破りの常識がインストールされると、このようにバグってしまうわけ。

よって文化の盗用には敏感だし、人種差別など自身の価値観に懐疑を投げかける。そういう人たちがいる。
他国のルールや文化で運用されているものに対して、自分たちの常識により「征服してないか?」と戒め自制するために。


アメリカは自由の国といわれますよね。
ですが表現は言うほど自由とは思いません。
各々がルールを守らずに自由に行動した結果、かつてのコミックコード、酒ならば禁酒法で強制的に抑えつけるはめになったように、自分で自分の遊び場を荒らして不自由にしてしまったのではないか……。
などと思ったわけです。


自由を確保するには関係者が常識とマナーを弁え、見過ごしてもらえる範囲でのお約束で行動する必要があります。不自由こそが自由の確保になるわけで、そこで度を過ぎた自由をおこなう人間がいるせいで少数のバカのために制限をかけ、その他大勢が損をするようになる。プロテクトのかかりすぎたゲームとかね。


遊び場のために個人の自由を我慢して、あくまで無法にならない範囲で行動する。




自由を自分の我が儘を正当化する殴り棒にする。そうすると文化は衰退するのだなー。



というのをアメリカのルール無視イキリオタクの発言を見て実感してしまったのでした。
ルールを破りたいなら就業規則からなにまで破ってくれたまえよ。約束事も守れない自由に酔っ払ったメンタルお子様人間たちにはなんら情報の発信もしないでほしいもんである。マジで。
今回は海外にしぼって行ったけど日本でもこれが出来てるとは思いませんけどね。バカはSNSを見たらいくらでもいる。なにも遵法精神をもてともいわん。でも海外はスケールが違うし、ルールを疑うを勘違いした個人主義の行き着いてしまった自由の果ての不自由を見ちゃった気分だね。

政治ツイートにありがちなセンテンスについて

よくあるじゃないですか?
「主流意見のこの解釈はステレオタイプ! 上は無能下は有能という世界観を守りたいだけ! これが真実! ウオー!」
みたいなやつ。

政治の意見として主流なもの、たとえば、
「日本政府は無能である」
みたいな発言があったとして、
「無能っていわれてるけどこれこれにおいては良いアプローチをしている。ステレオタイプで判断する人は思考停止」
というご指摘がRTされてきたりするのあるじゃないですか?


前は「なるほど! たしかにな!」と無邪気に思っていたんですが、最近そういうのを見ると、まあそういう指摘も的を射てないなと思うようになったんですよ。
何故かと言えば、存在しない人を殴ってるからですよ。


「いや、問題とされる発言をしてる人は実在するじゃん?」と言われたら「する」んですが、糾弾される発言そっくりの考えをしている人は「いない」んですよ。
めんどくさくなってきた。


例えばですけど、こういう「主流(と思われる)政治意見に対するそれは間違った見方だ」とする発言は、それ自体が「自分は冷静に物事を見ている」という自己を正としたバイアスの上でしか言えないんですよ。だって正しくないと思ってないのに間違ってるなんて言えないから。
なので、見ている側の自分としては「そもそもこの人はこう言ってるけど、前提条件としている良いアプローチとされる行動は本当に〝良い〟のか?」となるし、じゃあ仮にそのアプローチが良いとして、ステレオタイプなどの主流意見が間違っているのは別じゃないか?となるんですよ。


この場合、主流意見の間違いを指摘するなら、「主流意見」に対する訂正や問題提起であって、「主流意見を言っている人」にしてはいけないんですよ。
そもそも人を対象にした場合、その人が内心でなにを考えているかわからないからです。


「こうして主流意見的な文句を言っているけど、別のところでは政治を評価しているけど、でもこの側面では主流意見的な解釈をして反対している」だけかもしれません。そもそも人間が発信するとき、「良いことは良いといわなきゃ!」という使命感がなければ、マイナスのことしか言いません。

たとえば通販で買ったものなんて金払ったからには良いものがくるのは当たり前と思ってないですか? だから自分は良い評価のときはよほど飛び抜けてたり「カスみたいなレビューしかねえな!」と思わなきゃ書きません。もっぱら「クソみたいなもん掴まされた!! ゆるさん!! あと犠牲者が増えないように詳細にレポートするか!!!」というときにレビューを書きます。


人間がマイナスなことを発信しているからといって、その人の内面やポジションなんてわからないですよ。もちろん表だって出てくることでしか判断できないわけですし、「この人はマイナス面ばかり表に出す人」とか「この人が表に出すマイナス面は気持ち悪い」=なので本当は良い人かもしれないけど嫌な方を目にする確度が高いので関係を置く、ということはします。そして付き合いが長かったり度がすぎたりすれば、まあこういうことばっか表に出すってことは内面もそうだろうと憶測だってできます。そういう風に人間関係は構築されます。


が、でもそれは真実ではないので。
予想の範囲でしかありません。
だから「人」を対象に揶揄してると的を外しやすく、「意見」単位で物申した方が確実に的を射られるんです。


ここで冒頭に立ち返ると、
「たしかに問題としているステレオタイプなことを言った人はいたかもしれない」

「そのステレオタイプを思考停止で選んだかどうかは別である」
となるわけです。


だから自分は、こうした母数の多い主流意見に対する反対の見方を提示しつつ、なにも考えてないから主流意見を言っているのだと「断定」するのは、それこそが危険な理屈だよなーと思うわけです。
可能性の示唆や「主観として自分はこう〝思っている〟」ならとやかく言われる筋合いはないものの、「思考停止だぞ」とかになったらそれは「客観的真実」になってしまうので。


結局のところ、大勢の気づいていない真実を指摘してやる! という文脈で断言をしてしまうと、ストローマン論法の言い換えのような論理展開になってしまうので危険だし、こういう発言を「そういうのもあるのか」といった視点のひとつとしてではなく、検証と精査もなく「事実」として受け入れてしまうと、後出しジャンケンの理論をすぐ信じ込んでしまい危険が危ない。


出典のない発言なんて検証の手間がかかりすぎるし、だからせめてTwitterなんて媒体で政治発言をするならみっともないくらいに連ツイするしかないんだが、政治駄目だしをするときや反論を横からスッとするインターネッツマンは断言が多い。俺は断言で人を切るのは辻斬りめいて気持ちいいからやっていると思ってるし、複数行書いて突き詰めるとボロがでるから誤魔化してるかのどっちかだと思ってるよ(お手本のような逃げ)。


というわけでTwitterなんて短文メディアではどうしても意見の言い合い(クソの投げ合いともいう)にしかならずなんら会話が成立しないのでやるだけ無駄で、鬱憤晴らしに話題に触れたり信頼できる理性を持ったもの同志で長々と意見交換をしあうくらいしか無理だと思うのだが、わざわざ政治系と銘打ってツイートしてる人は無駄骨なのでやめりゃあいいのにひとりで煮詰まってるだけだよね、という感じでしたとさ。
主流意見を切る!とかやってても仮に話題にしたところでは優秀かもしれないけど別のところではイメージ通りかもしれないので、そういった局所的なところの話しかできないのでな。

にしても政治の話題、
専門分野があったり一部に限定して活動したり「国や政治家を動かしたりするゴール地点」のある人(政治家だったり経済家だったり記事を生業にしてたり)がやるのは一貫性もあり参照性もあり目的地も明確だから無駄とは思わんが
匿名アカウント(つまり一般的ツイッタラー)の政治アカウントがほとんどの、単にヒートしてバトるオチしかないからなにからなにまで徒労で見てて悲しくなるよな。


たまに気になる話題に反応するくらいの一般的趣味アカウントで生きた方が時間が有益ですよね。
ちなみに自分は日本の経済政策はマジでウンコすぎるし寝言かよって思うしワクチンの接種のさせ方も手際悪すぎかよ、と思うけど全国民摂取の目処自体はたちつつ死者が抑えられてるのはいいよねくらいのスタンスです。それはともかく金はくれ。
そんでこの発言でもステレオタイプとそうじゃないところが同居するんだから、一部を切り取って「ステレオタイプ思考停止!」っていえるから無意味なんだよなこの論法はー。他人の気づかない真実を指摘するムーブはやりはじめると快楽だからマジで気をつけた方がいいぜー。

オジュウチョウサンは引退させるべきなのか

すっかり競馬に手をだして二ヶ月程度がすぎましたこんばんは。
元々両親が馬に手を出していたとはいえ自分がこんなにどっぷりハマるとは思いませんでした……。

競馬にハマってから障害レースで活躍するオジュウチョウサンの存在を知ったわけで、先日中山グランドジャンプで軸にして勝負していました。
レースを見た人は知ってのとおり負けてしまったわけですが、その後レースとの関係は不明ですが骨折とのニュースが発表されました。

オジュウチョウサンは既に10歳と競走馬の中では高齢であり、そろそろ引退させろとファンの声が出ました。
で、逆にそこに引退させろというのは無責任、馬主のことや競馬の事情を考えろという声も出ました。


というわけで、Twitterで流れてきたツイートを引用しつつ……

続きを読む

DMM版ウマ娘を常にフルスクリーンでプレイする

DMM版ウマ娘、画質はいいんだけど縦画面と横画面が混在していて、しかも要所要所でウィンドウを可変させてくるので常にフルスクリーンでプレイできない。
普段はディスプレイを縦にしておいてライブの時はモニタを物理的に回転させてスマホみたいに対応しようかな~ と思っていたので、この仕様に悪戦苦闘。

PCだと育成かライブ、どちらかを犠牲にした状態で遊ぶしかないのかな、とガッカリしていたんですけど有志が公開したソフトを組み合わせればいけそうなのでやってみた。

※現在ではほぼほぼウマドだけで擬似的に再現できます。

目的

 縦型ウィンドウ時は縦にしたモニタに、横型ウィンドウのときは横にしたモニタにゲームをフルスクリーンで表示する

機材

 縦に配置できるモニタ
  →ピポット機能対応か、モニターアームの装着が可能ならモニタならなんでも。Windowsの設定でそのモニタだけ縦に設定しましょう
 横に配置しているモニタ
  →特に言うことなし

使用ツール

 ・BorderlessGaming
  →フルスクリーンに対応してないゲームをフルスクリーンにする。ボーダーレス化も対応
 ・ウマド
  →bironist氏の公開したソフト。ウマ娘のウィンドウの縦横比に応じてウィンドウの位置を任意の位置に自動で移動してくれる。マルチモニタ対応。

設定

 1 ウマ娘、BorderlessGaming、ウマドを起動する
 2 ウマ娘を縦モニタに移動させる
 3 BorderlessGamingでウマ娘を「お気に入り(自動化)」に放り込み、フルスクリーンにする
 4 ウマドの縦長サイズを記録を押下
 5 BorderlessGamingでウマ娘のフルスクリーン化を解除し、横モニタに移動させ、ライブを開始する
 6 BorderlessGamingでウマ娘をフルスクリーン化する
 7 ウマドで横長サイズを記録を押下
 8 上記で完了。あとはウマドの自動サイズ変更を有効化を押下し、実際にウマ娘の解像度変更時に正常に任意のモニタにウィンドウが移動し、フルスクリーン化するか確認する

以上。

縦と横の切り替えを頻繁に行うとBorderless化がされなかったりして手動でフルスクリーンにし直す(ボタン一個押すだけ)必要がでて首を捻っているんですが、改善できそうになかったのでとりあえず現在の環境を共有がてら記載しました。

 ※上記の設定をおわらせたあと、BorderlessGamingでウマ娘をフルスクリーン化させないように「サイズを変更しない」にチェックをいれると、BorderlessGamingがゲームをボーダーレス化し、ウマド側がウィンドウ位置と大きさを調整して擬似的にフルスクリーン化します。こっちの方がいいかも……(要検証)

それにしてもこのDMM版ウマ娘の環境問題、本当にかゆいところに手が届かない状態で……。

BorderlessGamingはフルスクリーン化するモニタをひとつだけ記憶できるので、たとえばウマ娘が解像度変更時にプロセス名を変更してくれているならそれぞれ別の設定を割り当てられるので解決できたのになぁ……ってなやんでました。
ウマドのお陰でなんとか解決したんですが、ふたつのソフトを併用している都合上、結構意図しない挙動もしちゃうんですよね(ボーダーレス化されなくなったり)。

公式側が解決してくれるのが一番なのにな~~~~ と思ってるので期待したいですね
DMM版だけ高解像度化とかもあわせて色々とこう……。

意識じゃなくて機能で解決しなよ

世の中って意識で改善しようとする人間が多すぎないですか?


例えば「連絡を密にする」とか「ここに問題が起こりやすいので気をつける」とか。
一見対策してるっぽく見えるけど、実は対策するのが面倒だから個々人の能力に依存した解決策をしているだけのやつ。
関わる人間が少人数なら意識だけで改善するのはコスパもいいが、これが不特定多数になればなるほど手段としては劣悪になるよね。


……というのを、Twitterでお見かけした鉄道会社の社員らしき人の発言で思ったわけですよ。
隙間の空いたホームドアは子供とかがくぐり抜けてしまう、という苦言に「素人は黙っとれ(DASHスラング)」「そもそも子供から目を離すな」などを正論と認識していってしまっていた。

まず、隙間の空いたホームドアは子供対策の用途で設置されているのではない(=そういった目的意識が違うものに対して、異なる着眼点で苦言を呈するのは素人)という前提条件で話す分には間違っていません。ですが、根本的な誤解として、「そもそも~」を頭につけた反論は九分九厘クソになるよという話もします。


人間にはどうやってもミスは起こるし、不注意はあるし、不幸もあるので、「そもそも」なんて言うだけ無駄です。結果論。「ガスの元栓閉め忘れたかも!」って言ってる人がいたとして「そもそもガスの元栓を毎日チェックするようにしろ」なんて言う奴がいたら嫌でしょう? 常に後出しで他人に勝てる気分になれる言った気になれる文法それが「そもそも」という修飾語なわけです。

どんな人間にも初めて起こしたミスはあるし、そこからチェックフローを作ったりするわけで、その物忘れや不注意による被害が発生する最初の一回目に遭遇した人に対して「そもそも~」と言うわけですね。本当に他人にモノを申すときに「そもそも」を使うのは愚かです


そして、「子供から目を離す」という状況が、上述した不注意や不幸から来る避けがたい状況から来る可能性があるものです。
ただでさえ育児なんて大変なものをしていて、外出しているときに常に気を張っておくなんて不可能です。ただでさえ集中力なんて45分しか持たないって話なのに。

そういった偶然から来る不幸は試行回数が増えれば増えるほど増すし、ましてや子供なんて実質動物みたいな行動するんだから、個人の意識でどうにかなるかといえばなるわけがない。
ならどうするか? 意識じゃなくて機能で果たすのが正です。


なにもしなくても自然と問題の状況にならないように工程をデザインする。これこそが大多数の人間に常に強制力を持って、かつ個々人の能力に由来せず与えられることだから、鉄道などの不特定多数の人間にアプローチするなら当然機能優先です。

鉄道なら、いくら言おうがエスカレーターを歩く人間は歩く。だって階段というデザインをしているんだから、アフォーダンス的には歩くのが正の形をしています。そこに歩くなという意識を啓蒙しても無駄なのは、もう判りきったことです。ここで歩けない昇降手段を用意すれば(エレベーターとか)当然歩かない。これが機能です。


そういったわけで、意識じゃなくて機能で解決しようとするのは、本当に言った気になれる愚かな論理だなぁ、と思いましたとさ。
自分が注意欠陥なので自分の意識なんて信用できないのは前提なんですが、みなさんそんな人間の意識を過大に評価してるんですかね? ビックリ。


まあ、そもそも愚痴垢とか毒舌家っていうのは自分のクソ経験に結びつけて物事を語り、もしかしたらこうなのかもという過程の話をせず、ただ一元的な視点から批判して溜飲を下げることが目的であり、別に問題を明らかにする可能性を示唆するものではありません。ネットに公開されてしまっている喫茶店の片隅で行われた愚痴大会。それの機能はストレス発散であり、正しさを考えてみようというものではないのですが、だからこそ正しさ故の発言だと真に受けてはいけませんし、言ってる当人もそうだと誤解したら話が変わってくるぞってことですね。
鉄道職員だろうがホームドアなどの機能と事故防止の観点のプロではない。肩書きで喋るトークの素人は黙っとれですな。*1

*1:そもそも黙ってろを冗談以外で使っちゃダメだぞ! 疑問やブレイクスルーがでてこなくなるし窮屈になるだけだぞ!

少年漫画のパロディとしての『鬼滅の刃』

鬼滅の刃の大ヒットぶりには日々驚かされるというか最早当たり前すぎて普通に受け入れてしまっている最近なのだけど、それでもこの大衆受けしなさそうと思ってしまった漫画がここまでヒットしているのかぁ、という驚きは常にある。

炭次郎のような少年漫画としては異例に近い出自の主人公などもそうなのだけど、そういうことではなくて。
鬼滅の刃は、そもそも設定が少年漫画という文脈のもとに展開された読者に予備知識を要求する漫画だなと最近気づいたのだ。

そういった作風がコア層じゃなくてマスにまで受けていることにビックリしつつ、話の構成を自覚的に受け取っていなくても、この話を読んだ時点でこれまでの少年漫画の展開が今後も続けられたら違和感を覚えるのかもしれない。創作の価値観のアップデートとはそういうもので、言語化できない違和感として歯車を回し、そして鬼滅の刃は価値観やトレンドを推し進める漫画なのだ。

そして鬼滅の刃が価値観を進めるためにとった、予備知識を求める調理の仕方は少年漫画のパロディだ。

※ここから先は最終話までのネタバレがあります。

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