娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

オタクは9割間違う? 感想の書き方

オタク一般人の感想で一番の違いといえば、自分の趣味に対して技術的な言及をすることじゃないですか?

f:id:SEI_BU:20200714065256p:plain

たとえば一般人なら音楽を聴いて「これ好き~~~」と「わかるぅ~~~~」と言うけど、ちょっとオタクの毛がある人なら「このバンドのギタリストの高速連弾すき~~~~~」とか技術に対して言及し始めるし、そうでなくても「このスリーピースバンドの耳に突き刺さるような高音好き~」とか対象を具体化(細分化)して明確にしていきますよね。

「これすき……」しか言えないとか本当に好きなの? 感情と感覚でしか判断できないって流してるだけじゃない? 語彙力足りなさすぎない? 解像度低すぎない?

好きなだけではダメ、どうしてそれが好きなのか具体的に言いたい。あるいは詳しくなって結果的にそうなってしまう。
それがオタクあるあるだと思います。

……が!





本当に大丈夫!?





それ……ただの知ったかぶりおじさんになってない!?





それが本当に自分の言及していいことか判ってやってる!?




昔のインターネットは詳しい、好き者がやっていたものですからコンテンツが絞られ、結果的に正しく技術言及がされていたかもしれません。
大学やディスカッションなど一定の知識があり、受容側と供給側の所属分野が同じ場合も大丈夫でしょう。

ですが現代のインターネット人口は多種多様な人間にあふれ、その結果、知識量も立場もカオスになり、人の表面的な「技術に言及しているかっこよさ」を模倣する人々で溢れかえってしまいました。
9割が見た目だけを真似です。

これが9割の人が感想を間違う元凶です。




そして言うだけで恥を掻く言及というものがあります。
インターネットで感想をつぶやくとき、あるいは伝えるとき、これだけは抑えておきましょう!!

創作技法について触れる

例え言ったことがなくても一度は見たことがあるんじゃないでしょうか。
「起承転結がなってない」
「デッサンが崩れてる」
などなど。

以前はプロを目指していた人や創作が好きな人しかアクセスできなかった情報が、いつの間にか誰でも知ろうと思えば手軽にアクセスできるようになりました。
Wikipediaにすら三幕構成について書かれているくらいなんだから、そりゃあもう簡単であることあること。

そのため、Twitterからレビューサイトまで、「この作品がおかしい理由」が理路整然と書かれています。
それらには説得力があるものもあって、「なるほど! 確かにこれに背いているからダメだと思ったのだな!」と頷いてしまうし、「自分もただ嫌だった、ではなく理屈を語れるようになりたい!」と憧れるものです。


ですがそれらの感想は9割は間違いです。


絶対に使ってはいけません。



「なんで? 論理的に理屈を使って語った方がいいに決まってるでしょ」



と、思ってしまいますが、これが本当に間違ったことばかりだし、最悪なのは「たまに的中してしまう」からこの方法は正しいのだと偽りの成功体験を生んでしまうことにあります。



まず断っておくとして、これらの理屈や言及を使っていい人たちはいます。
それがクリエイター編集業です。
あるいは自分とクリエイターの差を理解したうえで発言している(=自分に対する批判性を維持しているので)批評家などに限られます。


作り手と側で共に仕事をしている人。これら以外が言及してはダメです。
「まーたクリエイターの特別視か!!」となりますが、違います。それなら編集だって除外されなくてはいけません。



問題は簡単には2種類あり、
1.技術とは専門性があるものである
2.利害を共にしていない

からです。


順番に解説していくと、
技術とは大前提として、「知っているだけでは役に立たない」ものです。
例えばここに、頭痛の人間がいるとします。それを見たAさんが叫びます。

「頭痛ってことはクモ膜下出血だよ!!!」

……これを見て「なにいってんの?」以外の感想を抱く人、いますか?


この場合、クモ膜下出血の症状や診断の技術を聞きかじった人が、その自分の知識に該当する症状を見て「そうに違いない!」と迫真の表情で言ったわけです。

「プロット」だの「起承転結」だの「デッサン」などもそれと同じで、別にそれらを知識として知っていても、マジでなんの意味もないわけ。


実践を伴っていない技術への言及は10割クソです。


しかも前述したように「的中することもある」のが厄介なわけです。プロじゃないのに当てた俺凄いってなる。偶然です。
悪い言葉を使えばセックス指南本を見てAV男優に講釈を垂れる童貞と思えばわかりやすいかもしれません。野球をやったことないのにプロ野球選手に野次飛ばしてるおっさんでもいいし、なかなかボスを倒せないゲーム実況に野次を飛ばす視聴者(未プレイ)でもよい。


さらにいえば、大前提として「起承転結とかデッサンとかないからダメっていってるけど、それって本当に必要なの?」って技術への懐疑も持てないので絶対に発言が浅くなります。実践してる人間なら「理屈としてはこうだけど、絶対ではない」と自然とわかります。
「それは体感論や主観であって客観でないでしょ? そういう拘りがない素人の方が正確にジャッジできるから!」
できません。
パソコン理解できないおばはんがソフトウェアのメンテナンスとかできるか~? できんやろ~?

そして技法を守ってなければ駄目、なんて言説がアホなのことは、プロだけではなく趣味で創作している人ですら当たり前に理解します。
デッサンを守って勇者パースが生まれるか? 守ってないから勇者パースはクソなのか? そんなわけなかろう!


なので、Twitterとかで「作画が綺麗とか言われてるけどこのアニメは止め絵! 本当のアニメではない!」とか「主人公側の作戦が成功してあっさり敵に勝っている! 不慮の事態を発生させてツイストを作らなくてはダメ!」とか「この絵には黄金比があるので神~~~~~~」とか言ってるアカウントはセックスを語る童貞です。ヤバイですね!


それと「利害を共にしていない」についてはあっさりすませると、そのアドバイスの成否の如何によってなんの影響も受けない人間からの助言とか聞く価値ないってことです。アドバイス罪で検索検索。
だってそのアドバイスが間違っていてもなんら責任も損もしない人間の言葉とか聞く価値でしょ、ってことで。
まあ素人の論評での問題は大概1なのでこっちはオマケみたいなもんです。


作者を語る

「この作者の思想が透けて見える」
 ※幻覚
「この程度のものしか書けない作者は~~~」

考えてて気が滅入ってきたのでやめる。絶対みんな頭に思い浮かべるものがあるでしょ。

創作を見て作者を語るやつなんて人のクソを見て当人の人格を類推するようなものですよ。そりゃクソなので喰ったものによって出てくるものが違うから生活習慣に該当するようなものは読めるかもしれないけどそれで人格が毀損できるわけないでしょ。*1


人殺しが「人殺しは悪いことだよ」といっても言葉の論理が否にならないように、聖人がミミズののたくった字を書いても聖人の価値が毀損されることはないわけ。
「人」と「発言」は別です。
どんな人間だって短期的には間違いを犯すし、その間違いの内容ではなく間違いを出力した人の方に矛先を向けたら溜飲は下がっても問題解決においてはノイズだぞ。

「作品」と「作者」を別個に分けて話せないなら、「その行動」*2は「他人を侮辱」しようとしていて作品の評価をしようとしているわけではありません。要注意。

あと「作者の思想が透けてみえる」って発言、安易に発言してしまうお年頃というよりある程度知識をつけてきて増長した二十代~おっさんに見られるのが本当にキツいですよね。ある程度土台がいえるから俺は言える! って思っちゃったんでしょうか? ←つまりこれです、勝手に相手の内面を規定するクソ発言。

作品で透けて見えるならパンチラ絵を見て「縞パンを選んでいるのはボーダーにより立体感を強調して見せたいという欲望の結果でありハミ肉の脂肪の塩梅がリアルになってる!こういうことをすると二次元の絵に肉感が生まれてそのギャップでエロさを感じるんだよな判るで~~~~~!!!」くらい透けて見てみなさい。

作者の考えてることを読まずに勝手に都合のいいものを幻視してるから「思想がすけてみえる」なんて真面目腐って言ってるから気取りやお馬鹿なのだ。

まとめ:嘘ない感想の書き方

「じゃあ何も作ってない人間はなにも言うなってことかよ!!!」
「まーたクリエイターはオタク界の特権階級かよ!!!」

となった人ももしかしたらいるかもしれませんが、大事なのは自分に扱えない道具を使うなってだけの話。
受け手側でも使える感想があります。




お気持ち長文です




えっ、お気持ち長文!? あのTwitterとかはてな匿名ダイアリーで流れてくるアレ!?


と思われるかもしれませんが、お気持ち長文への非難は些か的外れが多いです。

というよりも、オタクがなにかジャンルを批判しているとき、ジャンルを批判している時点で的外れです。

たとえば一時期白ハゲ漫画が叩かれて見かけなくなりましたが、アレもアホの極みみたいなものです。白ハゲ漫画が悪いのではなく、白ハゲ漫画を通じて癪に障ることを主張しているから、その手段として使われている白ハゲ漫画自体を叩いたわけです。
犯罪者を見て人類すべてに絶望するラスボスか。
宮崎事件を見てオタクを全員憎むヤツか?

鬼滅の刃もそうですね。軽率な鬼滅ファンに不快にされてるのに=作品が悪いとか考えてしまう。


同じように、悪いように使われたお気持ち長文を見て、お気持ち長文……という名の自分の感情に与えられた変化を語ることが悪しきように思われているとしたら、それはもう声のでかいオタクの罪悪と言えるでしょうね。
いるでしょ、「俺雑食だからなんでも楽しめるわw」「そんなこと考えずに楽しめよ」ってマウントとってくるやつ。
一生読んでるエロ漫画が途中で正反対のシチュになる呪いにかかれ。
深く考えないで抜いてみせろよオラ。
創作に深く感情を揺さぶられる第二第三の人生体験が得られないだけのさもしい自分を自覚しながらよ。


閑話休題


というわけで記事の冒頭でも軽んじられていた、技術も具体性もない「好き」という感情を伝えることが最高の感想です。

何故なら感情には嘘がないからです。

どんなに技術的に優れていようが「不愉快だった」と思えば貴方にとっては真実です。
しかし、「不愉快だった」ということを伝えるだけではただの中傷です。

この感情に「自分の中で起こった心情の変化」を書きましょう。
例えば「私は産まれた時からド近眼で眼鏡が手放せなかったのですが、幼少のときに眼鏡を取り上げられて虐められました。この作品では眼鏡がない方が美人とのセリフがありましたが、このキャラにとっても眼鏡は恥ずべきものなのかと不愉快になってしまいました」と書きましょう。
これは完全に真実です。
主観的な主観は嘘をつきません。

まあ真実と良い悪いは別なのですが……。

これを人に送ると怒られます。もっと感情を掘り下げましょう。この感想書き手の真意とは……?

「それにこの絵柄の眼鏡キャラが好きです。批判の意図がないのでしたら、この作品での眼鏡キャラをもっと見てみたいです! 素敵だったので……!」

ここまでくれば「不愉快」の正体は「好きな要素がなくなってしまった」ことだと作者に伝わります。
「ああ、この人は不愉快というだけではなく、俺が気づかなかった良さを評価してくれていて、それを気づかず蔑ろにしていたのか」と思ってもらえるかもしれません。

感情ベースの感想が何故か論じられるかといえば、感情をただぶつけているからです。感情の理由を教えてないからです。
そこにさえ気をつければ、嘘のない感想がかけますよ。


まとめると、
・論理ベースではなく感情ベース
・客観より主観
・作品の内容にだけ言及する

これだけ気をつければ、少なくともセックスを語る童貞化は避けられますよ。

オタクは「客観的事実に基づいていそうな主観」で語り出すので、「これは完全に自分の主観」と判る文章を書き、もしどうして技術や相手の考えに言及したいなら「もしかしてですが」「可能性としては」と決めつけず、あくまで数ある選択肢のひとつとして提示する。
「これは失敗している」「これはダメだ」と断言したくなりますし、断言してる人はかっこよく見えますし、頼り甲斐がありそう! と思いますが、こういうのは大概自分の主観的客観の価値観に沿わなかったから反射的に言っているだけです。客観と主観を間違えないようにしましょう。反面教師ですよ。

感想、体験は個人的なものです。個人的なものは真実です。
ですが他人を語ろうとしたらそれは嘘です。
自分が断言できる情報のみをソースに感想を書く。
これだけで恥ずかしいことになる可能性は格段に減りますし、これを恥ずかしいことだと思って他人に「やめろ」というヤツに作り手側から言わせていただけることは鏡を見ろにつきますね。

*1:ちなみに一番のクソはこういう喩えを見て「クソ」とか一部のワードを拾って意趣返しとか諧謔するやつだよ。sageという方向のためならどんな発言でも大喜利しようとするのはやめようね。

*2:こうやって言及する対象を絞れば絞るほどノイズが減るよ。