娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

ゲーム実況はゲームを腐らせる

ゲームのプレイ動画の配信はアングラ文化から、いつしかゲーム機にも機能として搭載されるほどに市民権を得た。文化とはアングラから一般化する過程を得るのだから、ゲーム実況は正しくその文化を得たと言える。
自分も見ることはある。あのゲームをどんな風にプレイするのか、とかどんな感想を持つのかが気になるし、ゲーム散歩という企画は専門家にゲームを見せてコメントを貰うのが新たな知見を得られるのが楽しい。fpsやシミュレーションなど、プレイスタイルを見ることそのものが楽しいものもあるし、個人的に好ましい文化だ。


しかし、そのうえでゲーム実況とはゲーム体験を腐らせる文化だ。
そのことを正しく理解していたうえで受容と発信をしているなら、それは当事者の判断なので問題のないことだが、最悪なのはゲーム実況でゲームを楽しめると思っている人間が多いことだ。


ゲーム実況でゲームの面白さなんて判るわけないだろ目を覚ませ。


何故ゲーム実況でゲームを楽しめないのか。映画を家ではなくスクリーンで見ろと同じようなものか? と疑問が浮かぶかもしれないが、そもそもの話、ジャンルが違うのだ。
アニメや映画は受け手が受動的に受け取るものである。なので環境が変わっても、意図するところの変質は最小限ですむ。
しかし、ゲームはインタラクティブなメディアで、つまり能動的に干渉するメディアである。
だからこそプレイには教養や知性が必要とされて受け手の数が制限される代わりに、他のメディアにはない「体験」のデザインに受け手を巻き込むことができるのだ。


※元・任天堂の人が執筆した体験デザインの本。名作The Last of Usの体験デザインが如何に優れているかを解説している。


映画で主人公がヒロインを殺す必要が迫られたとき、それは他人の決断である。
だが、ゲームの中でなら、その選択は主人公を通して貴方に強いられた選択である。
物語がたった一度しかない人生への反逆のために生まれたのだとしたら、ゲームはプリミティブな欲求により深くタッチしてプレイヤーを巻き込んでいる媒体だ。


その能動コンテンツをゲーム実況は受動コンテンツにコンバートし、それは当然コンテンツの劣化を意味する。
配信者がそれに自覚的であれば損失されたデータ分を補填しようと反応で補ったり、解説したり、別の情報を与える。自覚がなければ、ゲームというコンテンツに寄生するだけになる。
視聴者はプレイ動画で内容を十全に理解するのは不可能であり、精々3割程度の面白さしか理解できないものと心得るべきだ。そうであれば、プレイ動画だけを見て訳知り顔に内容に触れたりなんて恥ずかしくてできないはずだ。



例えば、The Last of Usというゲームは物語のデザインに非情に優れていて、続編ではキャラのとる選択、演出の間ひとつひとつがプレイヤーの心を痛めつけてくる。だからこそ、そのうえでたどり着く結末が胸を打つ。
例えば、Ghost of Tsushimaなら光の道を歩んでいた侍が闇の道に落ちていき、致命的な決別を経ても人のために戦う決断をする流れにプレイヤーを巻き込む。



これらは、見てるだけでもある程度はわかる。ただ、それは頭で理解するだけだ。何度もいうように、ゲームはプレイヤーを巻き込む。自分が歯を食いしばって進めなければ続きが見えないから、必死になって食らい付くことになる。その感情の動きのコントロールこそが、ゲームの真髄なのだ。


そのことを理解しない配信者や視聴者は、この世にある様々なゲームというコンテンツの価値を明確に腐らせる。自分単体で己のコンテンツ性を担保できないyoutuberが、「自分の面白さorかわいさアピール」をするためにゲーム実況をして収益を公式に収めないような恥を晒すことになる*1


そうならないために、ゲームプレイとゲーム実況の視聴はまったくの別物であることだけは絶対に胸に止めておいてほしい。本当にわかってたりコンテンツに敬意を持ってる配信者はストーリー主体ゲームで最後までやらずに「自分の目で確かめてみて」と促してくれたり、なんらかの方法でゲームを尊重してくれるし、自分が好んでいる配信者はみなコンテンツに敬意を持った素晴らしい人が多くて本当に嬉しい。(ちなみにダメな視聴者は最後まで見たいとかごねる)
間違っても、アクションゲームを見て「俺でもできそうwww」ってエアプ自慢をするような恥を晒すことだけは、己の株を下げないために辞めるべきだ。


ところでラスアスとか感情の体験デザインが完璧のゲームをゲーム部分RTAとかでもないのに実況する配信者、ゲームを楽しむ才能なさすぎないですか???

*1:某v集団のこと