娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

オジュウチョウサンは引退させるべきなのか

すっかり競馬に手をだして二ヶ月程度がすぎましたこんばんは。
元々両親が馬に手を出していたとはいえ自分がこんなにどっぷりハマるとは思いませんでした……。

競馬にハマってから障害レースで活躍するオジュウチョウサンの存在を知ったわけで、先日中山グランドジャンプで軸にして勝負していました。
レースを見た人は知ってのとおり負けてしまったわけですが、その後レースとの関係は不明ですが骨折とのニュースが発表されました。

オジュウチョウサンは既に10歳と競走馬の中では高齢であり、そろそろ引退させろとファンの声が出ました。
で、逆にそこに引退させろというのは無責任、馬主のことや競馬の事情を考えろという声も出ました。


というわけで、Twitterで流れてきたツイートを引用しつつ……







元々競馬に関わってた人ならではの、ファンだけの視点とは違った切り口です。
リプライにも共感の声が多かったわけで、オジュウチョウサンの現役続行は確かに理があります。


まあそのうえで引退させろ*1としか思わないわけですが……。



この話題には複数の話が混じっていて、


1.オジュウチョウサンを引退させた場合の馬主の収益
2.競走馬の出走目的
3.オジュウチョウサンを擁護する声の論拠はすべての競走馬に適用されるはず


あたりが主立ったものです。


この話のややこしくも美談に受け取られる原因は3です。

みんな頑張ってるからオジュウチョウサンだけ特別扱いはやめましょう。


それはそれです。
たとえばハルウララなどは頑張った馬の代名詞のように理解されますが、他の馬だって頑張ってます。頑張ってると受け取られるのは、「たくさん走った」「怪我をした」「無理をした」などなど「売り文句」があるからです。
現実の人間だってそうで、病弱な家族のためにだとか、誰かの代わりだとか、そういった「売り文句」があれば頑張りにブランド効果がつきます。


そのブランド効果、売り文句が悪いとかそういう露悪的なことではなくて、話題性になりやすい属性の有無だけで頑張ったことは事実として同じという話です。


たとえば勝敗などの頑張りがどうなれ、「頑張った」事実は覆りません。
だから、頑張りだけを理由にして特別扱いをするのは違う。


それはわかる。


でもそれはオジュウチョウサン問題の枝葉であって本質ではないので「関係ない話をしないでください」で脇に置いて話を進めましょう。


何故関係ないかといえば、オジュウチョウサンの問題は頑張りの有無ではないからです。


ファンの言っている「頑張り」とは、高齢で、獲得賞金を多く稼ぐほど結果を出して、そのうえで危険なレースに出て、怪我をしたのに馬主の都合で出走させられ続けるかもしれない、といったオジュウチョウサンという馬の歴史を総括して「頑張ったのに……」です。


このファンの「頑張り発言」を文字通り「努力」と言い換えて認識するのは、ハッキリ言って文脈が違います。
おそらく、普段から馬に携わっていると、ファンの無配慮な発言にフラストレーションを溜め、ここぞとばかりに危険ワード「頑張り」に反応してしまって別の話をし続ける心情は発生してもおかしくないと思います。


が、やっぱり別の話は別の話


競走馬の頑張り論である3ツイート目を排除した方が趣旨が明確になるので、ハッキリと今回の話題から除外します。


すると明確なんですが、この話って馬主都合でオジュウチョウサンを走らせ続けます、でしかないんですね。
あくまで馬主の都合であって競走馬の都合ではなく、ファンは基本的に競走馬の方に比重を置いて競馬を楽しむので、競走馬の生命の方に主眼を置いて語ります。
馬主と競走馬、それぞれ立っている場所が違うので意見が対立している。


馬主は稼げる馬がいなくなると破綻するし、競走馬は稼ぐのが本懐なので、養う余裕がなければ走らせるしかないのを理解してほしい……。


という馬主側の意見の代弁ですが、まあ、それはスジの通った馬主側視点の理屈でありますが、でも大多数の賛成をファンから得るのは無理です。


これを人間に置き換えれば*2


経営者は稼げる労働者がいなくなると破綻する。労働者は稼ぐのが本懐なので、養える売り上げがなければ働かせ続けなければならないのを理解してほしい……。


ですからね。
自分の会社の経営者が「残業代払うと破綻するからサビ残してくれ……頼む……理解してくれ……」って言ってきたらどうします?


「おまえの経営能力のなさが原因だろうが自分でなんとかしろ!!」


以外に言うことなくないですか?????


理由があるんだね、理屈も通ってるね、とは思いつつ、じゃあそれが受け入れられるかと言えば無理ですよ。
無論、競走馬の命を左右できるのは責任と金を持った馬主以外にいないわけですから、ファンはその行動を左右する権利はありません。

馬主の決断がすべてなので、どうぞ好きにしてください、というのを前提にして、「でもそれを理解してもらうのは無理だよ」って話です。


どんなに同情の余地があり、それに法的に問題がないことと、人にどう思われるかは別です。
「馬主にも事情があること」「ファンがその行動をどう思っているか」
このふたつの問題は別なので、馬主に事情があってもその馬主の行動を嫌悪するファンがいる、は完全に両立します。
スジが通っていても倫理的に嫌、なんて当たり前にあります。


なので、ファンを楽しませた競走馬の命を左右している状況なのに「理解してくれ(=嫌うのはやめてくれ)」なんて、ちょっと金を出してる人間のことを「無責任なバカ」と見下しすぎじゃない? ってところですね。
走らせる権利はあるからそうすればいいけど、その結果発生する当然のバッシングについて嫌々やめてするなんて無責任もいいところですよね。


そもそも競走馬は稼がなくなった時点で経済的価値はゼロ、それはそう。


合理的に考えればまったくもってその通りで、でもじゃあなんで引退馬支援があったり種牡馬も引退したサラブレッドを処分せずに生かしているかといえば、それは商材以上に生きている生命体だからだし、なにより人間の都合で品種改良されて競わされた過酷な馬生に対するせめてもの報酬が穏やかな余生でしょう。


尽くしてくれた生命に対する敬意の表れがその後の生活の保障であるのに、「ここまで酷使されたんだからせめて余生は穏やかにしてやってよ……」ってファンの意見に対して出す論拠のひとつが「だって経済価値がゼロだし」はあまりに恥ずかしいですよ。それをいったらお終いだろうが。
しかもオジュウチョウサンの場合は7億以上の賞金を稼いでいて、それはオジュウチョウサン自身の労働力で稼がれたものなんだから。


獲得賞金ゼロの馬なら完全に維持費が赤だし好意でやりくりしなければいけないから馬主の負担にも慮れるものがあるけど、稼ぎに稼いだ馬に対してそれは「完全に人間側の経済手腕のわりを馬が喰ってるだけじゃん……」だし、そもそも馬主になるのは所得制限があるくらいなんだから、そんな愛玩性の高いものを買っておいて、金銭の事情でどうにもならないなら何故命に……手を出した……屠畜産業とは分けが違うんだぞ……。


犬猫鳥も飼うのに心構えを説かれ、買ったとはいえ無責任に扱えばバッシングされる世の中で、より高価で、所得制限すらかけられた動物を買うのに生命に対して責任を負わない意見が大衆に受け入れられると思うのは、命の関わる職業として致命的だし、思っているのは勝手だけどその思想を元に生き物を運用したら嫌悪されるのは当たり前な話です。


嫌悪されても気にせず持論を口にするのはそれは当人の人生なのでなんも思うことはないですが、そこに命を粗末にしても理解してくれこれは経済活動なんだとナヨナヨしいことを言われたら、まあ、「おいおい……」ですよね
こういうどうにかしてやってくれよ、という気持ちを「綺麗事」だというのは、もうただの中二病なので、人にも馬にも有害になってしまいます。知識を持った大人が経験で繰り出してくる「綺麗事」という発言は物事を前に進めずに他人を傷つけるだけの道具であり、ただ当人だけが現実を語った気になれる議論を脱線させる第一歩なので、「現実を知っている」ということにたいして「それがどうした」と疑うのは大事です。
実際知識量が多いことは有利であるので、よりよい結論を導きだせるはずですからね。


もちろんこうして語ってきたことはオジュウチョウサンの馬主の話ではなく、その立場を慮った人の馬主という立場の代弁からくる反論に対する苦言なわけで、実際にオジュウチョウサンの馬主が何を考え、どう思い、今後どうするのかはわかりませんし、チュウサン氏にたいして何ら知見はないのでそこには言及しませんしできません。
なのでこれはあくまで、馬主側にたった一意見に対する「いや、その論理は成立しないよ」という内容です。
ぶっちゃけ馬主や厩舎員らなど当事者以外はどんな肩書きがあろうと外野ですし、元々同業者でも元々がついた時点で一般人の言い換えでしかないですし。
実際苦渋の決断でやっているかもしれないし、その場合は同情するでしょうけど、まあ、ファンがそう思うのも当然ですしそれを責められても「客商売の自覚を持て」以外ないですよ普通に、ってことです。


っていうか、日本の競馬が元々軍馬文化維持という名目で開始された以上、種牡馬にいれて優秀な遺伝子を後に残すのもまあまあ馬主に責任なわけで、競馬文化に還元できずに故意で一世代で終わらす可能性のある選択肢をとるのは馬主としての責任を果たせていないし、目先の金の問題だけで云々語るのは近視眼的だよなー。
金がなければクビは回らないけど今やクラウドファンディングとか色々あるしそれらの手段を加味しないので経済動物なので~とかの話をされても知らんがな~なんですよねーーー。

そもそも経済動物を額面通り受け取ったら「じゃあなんで引退馬支援なんてものが存在するの?」「なんで国が給付して生かそうとするの?」ってわけで。

資産価値をうまなくなったからダメという資本主義の極北みたいな理屈は合理的なように聞こえますけど、それを主張するなら働けなくなったりした人間は即社会から追放されなきゃいけないですよね。労働価値を生まないので。でも現実として人間は元より馬も引退したら生きていけるように整備している人たちもいるし、寄付する人間もいるわけです。

金を中心にした合理ならば、そう。でも世の中そんな機械的にできていないし機械的なものが良いわけでもないので、競走馬として働いた分、報酬としての余生を提供するわけ。人間も定年したって別に死なないように保護するよ国は。人は生きていれば消費を生むけど馬はそれがないといっても、馬が生き続ければファンは安心してお金をだすし結果、経済は回るわけですね。
例えば屠畜産業の人間が「どうせ喰われて死ぬから」といって動物を虐待したら最悪でしょう。資産価値がないから、で単純に命を割り切るのも、生き物に関わる人間として失格ですよね。

こういうのを理想論というなら、もはやそれまで。現実をしって斜に構えてどうせ無駄だとひねくれて周囲にマウントするのが子供なら、理想という期待値を想定しそこに近づけて現実と折り合いをつけるのが大人ですよ。立ち向かってもダメだったなら、せめて立ち向かおうとする、変えようとする人間の邪魔だけはしないでほしいですよね。一頭を特別扱いするな、の場合もようするに「みんな貧しくなりましょう」の馬版ですからね。特別扱いせずにできるだけ多くの競走馬を救おうとしましょう、じゃなければどだい成立しない言葉。


人が死んだときに「自己責任」という4文字に逃げる人がいるように、この問題を「仕方ないんだ」で片付けようとする人は、そもそもこの問題を未解決のまま脳裏に保持しておくストレスに耐えられなかったから、自己肯定のためになんらかの結論と呼べるものにすがりつく。思考の結果ではなく思考の保留なので、いつも出てくる結論は「現実」や「動物」といった一言ですませられるものに集約されてしまい、文章の形ででてこないんじゃないでしょうか。


「理解できない」というのは最低限理解しようとした人間に許された言葉であって、綺麗事抜きの真実をズバリ言う、みたいな姿勢で生命を扱う最後の建前すらかなぐりしてたら本当にもうお終いなんです。
そうなったら、ただの生物実験の公開披露場になるよ競馬は。


関係者の事情とファンの事情は別のところで存在しているし、現実、露悪、諦観といった似非リアリズムに毒されてしまっても真実の一端や今ある現実の一部しか表現できない、ということです。
競馬もファンが増えて大変なこともあるでしょうが、不祥事もどんどん表にでていますし、この調子で健全化がある程度すすんでいけば黒いところは残っても相対的に白くなった結果の改善という状況になってほしいものです。
正直、こうやって長々語ったこともそうですけど、身内贔屓が酷すぎるので。

せっかくレースという形で出てくるものはあんなに熱くなるものなので、それを憂いなく楽しめるようになればいいもんどえす。

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■脱線:そもそも黒いからなんだっていうの説
そもそもなんですが、
金がないなら仕方ないみたいな話すらも「いや、そもそもJRAの規定に所得制限あるし……それは当然越えられる前提でしょう」って話なわけで。

それで死ぬ、破産するっていうのも世の中にいるベンチャー企業も大概そうだし、別に不幸だしなくすようにすべきだけどどの業界でも有り触れた話のわけで。

闇があるからってなんなんなわけ?
ってことなんですよ。


しかも元関係者として話すのも、まあ、ポジショントークって一言で片付けられてしまうわけで。
どんなに大変なものを見たろうがどんな現実があろうが、いくら内側の話をしてファンやユーザーは知らない現実をしっていて言っているといっても、「立場上俺の方が知っていることが多いので俺の言っていることが正しい」というポジショントークにならざるを得ないんですよ。

悲惨な現実だろうが現場でおこってることだろうが、ぶっちゃけ全部この話題になっている問題にとってはノイズで、とても乱暴にいえば「どうでもいい情報を付け足していってもその論理の正当性の証明にはなりません」でしかないわけです。


馬を維持するために死ぬ馬主がいたり、殺される競走馬がいたり、それはもうとても悲しい話であり辛いことではありますが、全部別の問題なわけです。それはそれで別の機会、あるいは問題提起で解消していきましょう。そんな話をしてないんですわ。


3ツイート目への言及と同じですね。
自分の経験と話題を接続してしまってまったく関係ない話をしているし、見当違いのことを言っている。他人と自分の間に相対的な差があるとき、自分を前に置いて他人は遅れた話をしていると思ってしまう。
実際は話題の問題点がなにか解釈できず、聞かれてもない自分の話をしているだけ。
それほど平静を乱される経験をしているのだろうと同情もできますが、どんな肩書きや経験があろうが、見当違いの話をしている時点で、当人自体がオジュウチョウサン引退問題に対する外野でしかないんですよね。


うーん。


だいたいファンがファンの持ってる知識と立場から意見するのは当たり前ですからね。
どんなに過酷な現実があろうがそれを隠して娯楽として提供するんだから、そんなこと知っていて当然なんて話すのは筋違い。最初からオープンに現実を語っているならともかく。娯楽はもとよりすべての物事には過酷なことも辛い現実もありますよ。当たり前に食べてる食物から遊んでるゲームまでそうです。アニメなんてどれだけ人死んでるんだよ。芸能界なんてどんだけ闇があるんだ? 商売や企業なんていくつ破産し誰が死んでるんだ。

でも出される製品は役に立つし、娯楽は面白いし笑える。別にそれでいいんですよね。

表題に戻ると、闇の深さなんぞどうでもいいんですよ。


それを知ってるから、そういうことがあるからと物事を云々と語れたり正当化できるとするなら、世間の視界にいれてるものの現実認識力が足りなさすぎる。世の中程度の差こそあれ全部そうだよ。


これはそのまま記事中で触れられている「頑張ってるかどうかは関係ない」と同じで「過酷か残酷かどうかは関係ない」んです。
そんなこといったら、世の中で楽しめるものはなくなるし、常になにをやるにも不謹慎ですよ。過酷な現実があるなんて当たり前。裏で人が死んでる娯楽なんてあるのは当たり前。綺麗に見せようとしている以上、ファンはそれを見て判断するし、裏が悲惨だろうが送り出された娯楽の価値に毀損はないわけだし。

コメディ漫画を地獄のスケジュールで送り出したときに「でもこの漫画書くのに人が倒れたんだよね……」と読書が神妙な顔をしたら最悪じゃないですか。関係ないんですよ裏方の事情なんて。慮るのは悪いことじゃないけど、それとこれとは完全に別なんです。


でも過酷なことがあるなら少しづつよくしていこうと動くし、問題提起するし、よりよい目的に進もうとするのは当然なわけで、それらの残酷な現実を放置していい理由はありません。闇を闇としておいておく理由はないので、調教師パワハラ問題といいガンガン告発したりする流れのようにどんどんよくしていき、風通しをよくして衆目の目にさらして健全化を図る。
実に良い方向性ですね。


競馬の裏事情についてはどれだけ過酷かは実際に見てもいない人間にはなにもいえないのでそれこそ言及できませんが、まあ、関係ない話だし、少なくともそれはどこまでいっても別問題なので、別の問題提起で解決に動いて欲しいですね。



うーん、金と命の関わる商いって、こわい!!!


ほどほどに付き合っていきたいですね、こういうコンテンツ。
しかも金が絡むからそれがバイアスになって「自分の金になりそう」ってだけで当人をチヤホヤする可能性すらあるからね。
俺なら疑心暗鬼で誰も信用できなくなりそうだな。
でもまあ、賭け事は己の責任、己の能力の許す範囲で遊ぶ、だからこそ年齢制限のある遊びなので、自分を制御できずに乙った人が酷いことになろうが、それを論拠にして「こんなに黒いぜ!」といわれても「そんなん誰も口にしないだけで分かってることじゃん……しらんがな……」で終わりますし。

他人の振り見て我が振り治せ。
そんな感じでやっていきましょう。

*1:個人の意見です。あと走らせても問題ない根拠があるかもしれないのでそれなら堂々と話して欲しいもんである。

*2:人間と違って馬に人権はないじゃんという話はしないでくれ。例え話は常に情報の損失と相違があるものです。