娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

米のイキリオタクにより「文化の盗用」への意識の高さを理解した話

よく外国はポリコレ的だし映画の俳優の人種についても議論されるしで「表現の自由がなさそう」「それに比べて日本は自由」などなどの言説をさほど違和感なく受け入れていたわけです。


ギルティギアの新作では、「ラムレザルというキャラは黒人なので、白人である私は役を降ります」とした現地の吹き替え声優の方もいらっしゃいました。
そういうのを見ると、「いや、キャラは黒人じゃないし褐色じゃん……フィクションの人物を現実の人物に置き換えて考えてしまうのか?」「あくまで現実の延長線上でフィクションを見てるのかぁ」と思ったりして結構ゲンナリしてたんですよ。今でもこの考えはある程度当たっているのではないかとすら思ってます。


しかしながら、外国、特にアメリカが文化の盗用に敏感なのは、そうして自制や自己認識をしていないと危険な文化的下地があるんじゃないか?
ということに気づかされました。
イキリオタクのお陰で。


というのも、アメリカとかのイキリオタクって日本のイキリとはスケールが違うんですよね。
日本のイキリ、特にオタクに限定したら一言で言えば「性格が悪いだけ」じゃないですか。
如何にも「ぼくのかんがえたさいきょうのわるぐち」で他人の気分を害そうとしたり、大喜利をして身内でウケたり、精々がせせら笑う単なる精神活動の一環じゃないですか。


それにより追い込まれてしまう人間もいますけど、裏を返せば集まって初めて害になる有象無象に過ぎないわけです。
単に精神のタガが外れて結果的に言葉をエスカレーションさせただけにすぎない。


が、フロンティアスピリット溢れる方々は違うんですよね。


アメリカなどの成功者インタビューなどでよく見かけるフレーズがあります。

暗黙の了解を疑う、常識を覆して成功、

それらを一言でいえば「ルールを壊す」。


成功者がルールを疑い成果を上げた、といえば実に聞こえは良い。特にルールに雁字搦めにされて、慣習で疲弊しているときに聞けば聞くほど輝いて見えるフレーズです。


しかしながら、このルールを壊す、疑うが悪い方向に向かったらどうなるでしょうか?


マスクをしないで密になる、とかなわけですよ。


感染症対策でマスクをしましょう。
あんなことすら日本の比ではないくらいに抵抗している様はニュースでよく見かけますね。


実際割合としてはどの程度のものか存じないですが、まあマスクが原因で死傷事件まで出てるんだから相当なものでしょう。


ルールを疑うほどの自由はイノベーションを起こしやすい反面、自尊心と独立心の暴走を引き起こす。
自由を容認するということは、同時に痛みも許容しなければならない現実ですよね。


つまり、アメリカなどのオタクはこの強すぎる独立心を元に行動している、というわけ。
だからこそ、彼らの起こすトラブルは桁違いだし、制御不能ですよ。


以前、女性上位専門の個人エロサイトであったことなんですが。
海外のオタクと揉めたわけです。
このサイトのキャラで男性が主導権を握ったり、残酷な二次創作は禁止、のようなルールを管理人が打ち立てていたわけです。
が、海外のオタクはこれをやる。管理人は注意する。だがやめない!


詳しい顛末は知りませんが、つまり彼らにとってルールを作るものに対して優位性を認めてないし、自分の理由を強いるルールを強く拒否しているんです。
去年、アメリカで生きる黒人視点を体験する動画だがゲームだかがありまして、警察に職務質問されたときの選択肢の中に「大人しく従う」といったものがない! と指摘している方がいました。こういう選択肢がないことに黒人の暴動の原因があるよね、という皮肉ですよね。


自分は不当な行為を受けてるから従うと奴隷同然である、といった考えでもあるのかなと思ってたんですが、違うかもしれないんですよね。
「もしかしてアメリカ人の国民柄として、自分を制限するものには従わない」独立心が根付いているんじゃないか、ってことなんですよ。


これって恐ろしくないですか?

日本でも表現の自由論争は根強いです。規制法案なんてあったら大反対。ゾーニングとか寝言を言うなとばかりにいつも紛糾しますよね。で、実際問題、日本のサブカルにおける表現はよくもわるくも自由ですよね。年齢幅が倫理観まで、マイナーだったり風当たりが強いものこそあれど、本屋の漫画コーナーに行くだけで幅広いものがあります。


それは文化としての優劣には関係ないですが、事実として相対的な自由度は高いはずです。

しかしながら、それは無法とイコールではありません。

自由を守り表現をしますが、制定されたルールがあれば遵守します。そこから逸脱したら対処を獲ります。ただ、ルールから外れてないが倫理観や社会道徳と照り合わせたときの拘束力のない偏見から来る制限には抵抗します。

しかし、こうして表現を守ろうとして社会道徳と戦っているのに法律制定などに抵抗するのは、逆に言えば制定されたら従うことの裏返しでもあります。


日本の二次創作はグレー文化であります。だめ、といわれたら止めることを前提にして黙認で成り立っています。これは「ダメ」といわれたら止める、といったことを念頭に置いているため、怒られないように活動するわけです。

が、最近は公式が禁止したら怒る人もいますよね。彼らは総じてバカ呼ばわりされますし、実際バカでしょう。愚かです。が、それは一過性の愚かさです。5秒先の性欲のはけ口をうしなって短期的に怒っているだけで、数日もしたら消えている、単なる自分の欲望を邪魔されたことに対して不快感を抱いただけの思想なき浅慮な反発です。


なのに外国の場合、この反発が思想に後押しされるかたちでされるわけですよ。

ルールには従わない!
暗黙の了解を疑え!
俺は何者にも縛られない!

むしろルールを守る人間には「本気か!?」と驚き、「信じられない」と蔑み、「おまえらがルールを守ってる時に自由に楽しませてもらうぜw」と。


日本では無断転載禁止、とか規約違反には罰金します、なんて言葉が抑止力になりますが、彼らは公式が二次創作のガイドラインを出そうが「誰が守るか、バカかよ」ですし、様々な手段で難を逃れるわけ。


こういう手合いが出たら手が付けられないですよね。

日本ではマナーなどの学級会がよく行われますが、あくまで共通の趣味を持つ人間同志での了解を作ろう、という趣旨の相談です。
日本では、コミュニティによる社会活動をおこなうための最低限の規定を守れない人間たちを相手にしてるわけではありません。そんな手合いが出たら、もう法律を出さないと対処できないし、それは金と時間と労力がかかります。
結果、日本国外の人間はウマ娘のようなガイドラインが出てても、あの手この手で自分のルール破りを正当化して自由に振る舞います。



さっすが迫害と建国の歴史を持つ方々は言うことが違ってらっしゃる……というのはもちろん冗談ですが、お国柄としてルール破りと権力への抵抗が思想に組み込まれているのではないか、だから娯楽界隈ですら反抗ごっこ遊びを繰り広げているのではないか、と思ったわけです。


だからこそ、文化の盗用に敏感な層がいるんじゃないか。


どんな思想や下地があれ、その国人間全員がそういう考えのわけがありません。社会性と知能があれば、このルールは疑うがこれは公共や文化のために必要なものなのだ、と判断できます。
ですが、能力の欠如した人間にまでルール破りの常識がインストールされると、このようにバグってしまうわけ。

よって文化の盗用には敏感だし、人種差別など自身の価値観に懐疑を投げかける。そういう人たちがいる。
他国のルールや文化で運用されているものに対して、自分たちの常識により「征服してないか?」と戒め自制するために。


アメリカは自由の国といわれますよね。
ですが表現は言うほど自由とは思いません。
各々がルールを守らずに自由に行動した結果、かつてのコミックコード、酒ならば禁酒法で強制的に抑えつけるはめになったように、自分で自分の遊び場を荒らして不自由にしてしまったのではないか……。
などと思ったわけです。


自由を確保するには関係者が常識とマナーを弁え、見過ごしてもらえる範囲でのお約束で行動する必要があります。不自由こそが自由の確保になるわけで、そこで度を過ぎた自由をおこなう人間がいるせいで少数のバカのために制限をかけ、その他大勢が損をするようになる。プロテクトのかかりすぎたゲームとかね。


遊び場のために個人の自由を我慢して、あくまで無法にならない範囲で行動する。




自由を自分の我が儘を正当化する殴り棒にする。そうすると文化は衰退するのだなー。



というのをアメリカのルール無視イキリオタクの発言を見て実感してしまったのでした。
ルールを破りたいなら就業規則からなにまで破ってくれたまえよ。約束事も守れない自由に酔っ払ったメンタルお子様人間たちにはなんら情報の発信もしないでほしいもんである。マジで。
今回は海外にしぼって行ったけど日本でもこれが出来てるとは思いませんけどね。バカはSNSを見たらいくらでもいる。なにも遵法精神をもてともいわん。でも海外はスケールが違うし、ルールを疑うを勘違いした個人主義の行き着いてしまった自由の果ての不自由を見ちゃった気分だね。