loop8はクソゲーなのか
芝村裕吏の新作ゲームとして(俺が)注目していたタイトル、loop8がつい先日発売された。
ガンパレード・マーチ、エヴァンゲリオン2の残党である俺の心を救ってくれる新タイトル……。
※心境はマジでこれ。
このゲームは面白かったのか?
正直に言うと、
プレイ初日からずっと不満点を箇条書きにしながらプレイしてました!!!
昔のタイトルの思い出の残り香だけが楽しめる残念ゲームじゃねえか!!!
クリアしたあとにブログにしてスカッとストレス発散してやるからな……*1をモチベに辛い部分を乗り切ろうとしてました。
いやぁ、戦闘シーンはカクカクだし背景は2D一枚絵、時間経過がはやくて常に急かされたようにプレイすることになるし、ええいこの野郎……と怨念を吐き出しながら遊んでたわけです。
ではloop8はクソゲーなのか?
いや、loop8はクソゲーじゃない。
クソゲーなのは現実だ!!!!!
現実こそがクソゲーなのだ!!!!!
loop8にクソな部分があるのは当然で、このゲームはカレルシステムというAIによって管理されたキャラクターたちによる現実シミュレーションだからです。
だから、特定のキャラに話しかけようとすると会話に割り込み続ける子がでてくるし、話しかけたいのに逃げて時間を浪費させてくる子もいるし、なんなら突然に別の場所に連れ出されてその後の予定が狂ったりするわけです。
なんなら話しかけたいのに怒っているから腹の虫が治まるのを待たなくてはいけない。
さてそんなことをしていたらタイムリミット、体制が整っていなかったので敵に敗れてクラスメイトたちは殺されてしまうのです。
そもそも、じゃあ殺されないように頑張ろうとしても、「具体的にどうしたらいいんだよ!」と説明もなし。
これって現実なんですよね。
説明もなく勝利条件もわからないゲームに放り込まれて、失敗したらゲームオーバー。じゃあなにが悪かったんだよ! となっても答えはない。
そんなクソゲーである現実を変えるのがloop8のloop8たる由縁になるわけです。
このゲームを通して支配しているのは「時間経過」です。
なんと現実の1秒がゲーム内の1分に相当しているので、それはもうものすごい勢いで時間が経過していきます*2。
現実におけるクソ要素「時間」という有限リソースを猛烈に意識させてくるのがこのゲームで、プレイヤー=主人公はあっという間に過ぎていく時間経過の中で、迫り来る危機に対しての対抗策を考えなくてはいけません。
自分はまずこの時間経過のシステムがクソで、「もっと速度を遅くしてくれ」「具体的に行動を選択したら時間を経過させてくれよ」「教室からトイレにいくまでの間で5、6分は経ってるけどこの世界の人間はどうやって休憩時間中にトイレに行ってるんだよ!!」と、あまりの落ち着かなさにずっと悪態をついていて、これが諸悪の根源だと思ってました。
実際、この時間システムのせいでトイレ問題のようにシュールなことも発生してしまうのですが、このゲームにはこのリアルタイムに消費される時間リソースが絶対に必要であることに気づかされてきます。
たとえば、プレイヤーはまず「あなたは転校生です。さあ遅刻しないで教室にいってね」とのミッションを与えられます。
「あれ、主人公は何年生で教室はどこだ?」と思ったときには既に時間経過は発生しています。
「ヤバイ!」と思って学校内を歩き回ります。「遅刻する!」
そしてなんとか滑り込んでホッと安心をします。「不親切なゲームだな……」
でも、この時点で既に術中なんですよね。
プレイヤーは「時間」というものを恨みます。操作キャラと同じ気持ちになっているんです。「遅刻しなくてよかった」の一点において感覚が共有され、時間システムを疎ましく思います。
ゲームへの恨みを呼び水に、プレイヤーはゲームの世界に案内されてたんですね。
これはたとえば、ゲームにおいて同行者キャラなどが主人公に悪態をついてくるのに似ています。
人間って「嬉しい」や「好き」の感情には個性があります。たとえばロリキャラに「ざーこ♥ざーこ♥」と煽られて喜ぶ人間と「わからせてぇ……」ってなる人間がいるのと同じで、「好」の感情で人をコントロールできないんです。
しかし、不快は共通しています。殴られたらムカつくし、恩を仇で返されたらムッとします。
害虫がキャラの手にはっていたら大半は「ウワッ!」となります。
物語とは、「不快」の感情で現実と空想を繋げていて、意識しないと認識できないほど空気のように組み込まれているんですね。これによりプレイヤーは視聴者は作中の人物に共感し、血肉を持った人物としての実像を得るのです。
そうなるとこのゲームの場合なら、一貫して「理不尽な抵抗勢力:時間に対する恨み」でプレイヤーと主人公を一致させ、このテーマは物語の根幹をなすギミック:ループを送らせる動機となるのです。
プレイヤーはゲーム中、常に時間を恨み続けることになりますが、この時間への敵対心こそがゲームという地の世界を生きる主人公と現実という天の世界を生きるプレイヤーを繋げる天浮橋に他ならないわけです。
だからこのゲームにおいて時間やままならなさの体感はゲームによるクソさではなく、再現された現実のクソさであり、プレイヤーはそのクソな現実……理不尽な時間経過と仲間の死に立ち向かうべく、一夏のループに身を投じることになるわけです。
でもやっぱりゲームだから説明はほしい! と思います。だって最初のループ直後はこうですよ。
「いや、そもそもどこでなにしたら強くなれるんだよ! 時間経過があるし授業だってあるんだから、どこになにがあるのか探索する時間がないのに!」
……で、ハッとなるわけです。
「じゃあこの周回は捨てて、探索に費やそうと割り切ればいいんじゃない?」
別にこれが最後の周回じゃないんだから、今後のための行動にすればいいじゃないか、と。
その結果授業に出ないことを選び、「おいおいなんだあの転校生?」というプレイヤーの選択の結果生まれた独自のストーリーに引き摺り込まれるわけですし、なにより「次の周回に向けて割り切ってまずは状況確認に努める」という選択、これってループ物のフィクションにある決断ですよね。
こうして、プレイヤーは自然とループ者の感情を追体験しながら、ゲーム世界におけるコミュニティを守るために奔走することができるわけです。
このことを意識してくると、もうこのゲームに書き連ねてきた不満点って大半が無意味なんですよ。だって不満を覚えさせるために用意された要素が多く、いやそれでも不満は大量にあるけど、「でもそれってこのゲームの本質じゃないよね」と思えてしまうんです。
たとえば戦闘要素は希薄です。しかもアニメ調の演出をするためにコマが落とされてるけど機械的に落としてるだけなので、ギルティギアのようにはならず単なる処理落ちに見えます。
村の背景なんて一枚絵だし、立派なのはキャラクターのモデルくらいです。
でもそれでいいんですよね。なにせ戦闘演出なんて、異様に少ないオプション項目からカットする選択が用意されてるくらいです。
このゲームのメインはあくまで「迫り来る危機」に対して、登場人物たちを守るためにループ者としてどのように彼らと関わり、親交を深めていくか。
この人間関係の構築とスケジュール管理、試行錯誤による感情の追体験がメインテーマなので、それ以外の部分は記号に過ぎないんです。loop8はAI思考するキャラクターとリアルタイムに経過する時間、このふたつだけが必要なのであって、敵や戦闘はそれらに区切りをつけるマクガフィンに過ぎないわけです。
loop8は究極的にいらないものをそぎ落とした、近代ではあまりに思い切りの良い「引き算」のゲームだったんですよね。
だってあまりに思い切りがいい。切り落としたものは、だって誰が見ても瑕疵になるものなんですよ。
自分のしたためていた不満点なんてまさにそれで、
バックログがない!
現実にバックログはない。次の周回でまた聞け。
ループしても既に見たイベントがスキップされない!
当たり前だよその世界においては初回なんだから……会話が長い人間は当人の個性だしイヤなら軽んじたらいいんだよ当人は死ぬけど……。
と、これらはマジで「こんなことも分からないのか!」と憤りたくなるものです。でも実際は「こんなことも分からないのかと思いたくなる要素が実装されてないのはなんでだと思う?」と考えると、「あー、なるほど一貫性があるな……」と見えてくるんですよね。
とにかくゲーム中に一貫とした「思想」があり、それらから端を発した「割り切り」が分かってくると、のめり込むように遊んでしまう。スルメみたいなゲームです。
とくに最初は良さのわからない、カレルシステムによるキャラの行動ですが、これはキャラと仲良くなっていくにつれてどんどん引き込まれていきます。
実際に体験した中だと、主人公の恋人になったミッチが、主人公の婚約者に昇格したイチカに対して嫌味を言っている場面に遭遇しました。
でも不思議なことに、イチカは笑顔です。
な、なんで笑顔で嫌味を受け流してるの?
と思っていたら……
突然主人公に足をからめてきやがったわけです!!!!!
んでトドメにこの反応。
こ……コイツ……
色を知らぬバトルヒロインな面をしておきながら嫌味に対してイチャつくことで返答に変えやがった……ッ!!!!!
という女同士のヒリついた争いが突如開幕したわけで、それもこれも主人公である俺が複股をかける形で物語に介入した結果現れた筋書きのないストーリーなわけです。
こういった要素に意識が向き始めると、途端に面白くなるんですよね。ちなみにこの時は5股をかけましたがガンパレードマーチのトラウマが蘇りました。
周回のたびに現れる知らない物語、時間管理に余裕ができたことで見えてくる目標、それらを噛みしめ始めると「まあ……良いゲームじゃん……」となってしまう。これには烈海王もニッコリ。裏返ったッッッ
とはいえ、それでもやっぱり「ここはダメだろ!!!」と思う部分はそれはそれで!ある!!
許せんものは許せん!!!
実際バックログないのはあり得ん不便さがある!!!!!
なのでクリアしたらそのうちアンケートにでも書くかブログに吐き出す!!!
が!!!
サイゼリヤやマクドナルドにいって接客や料理に高望みをするようなもので、このゲームの思想においての体裁は整っているのでまあいいか……になっていくんですよね。分かりづらいなら1000円のインディーズゲームに福利厚生を求めるようなのは無粋じゃん? って感じ。
そんなわけで、台風で外出ができない日本列島の人間におかれましては、人生を何度もやり直すことで時間というクソ要素に反逆してはみませんか?