娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

【ストーリーバレ】アーマードコア6は“アーマードコア”になってしまった物語

AC6をクリアした。
プレイ中は難易度に毒づいていたものの、トータルで見ればこれまでのACとフロムの集大成であり、ストーリーにいたってはこれ一本でACの基本フォーマットを学べる総決算のような作品だった。


それだけに、話題性にひかれて購入した新規層が不慣れなビターエンドの数々にもにょってしまい、言語化が追いつかずにそれを「不満」「欠点」として出力しているのも、まあ悲しいとは思うがそれだけ売れたということなので非常にニッコリしている。


ただ、AC6のエンディングについての不満はこんなことを言っている自分の中にも存在する。
クリアした直後は燻っているモヤモヤの正体がわからなかったのだが、ようやく頭の中で整理が付いた。



一言でいえば、



アーマードコアの第三エンディングは、「アーマードコア6といった個の作品を、アーマードコアというシリーズに集約させてしまった」。



というわけでここから全ルートのネタバレ前提の感想のため注意されたい。





自分はルビコンの火ルートもルビコンの解放者ルートも高く評価していて、特にルビコンの解放者ルートはこれまでイレギュラーとして扱われていた主人公の活躍そのものが大勢を鼓舞する展開へとひっくり返るのは、ACシリーズで存在した依頼をこなしているのに勝手に畏れられることへの細やかな不満が解消されるカタルシスがあった。

そのうえで、他2ルートよりも強く、ハンドラー・ウォルターという父性からの離脱と、最後の別れをすませることができたことが後腐れなく、今後の可能性を追い求めていけるところに開放感があったのだ。


これら2ルートは、おそらく他のACでは同様の読後感はありえない。本作はキャラクターを深く掘り下げ、人となりをしっているからこそ、「誰を選ぶのか」といった選択肢が重い。ACfAのストーリーにおいては、別のパターンも見てみるか…くらいの気持ちで他のストーリーを読みに行けたのは、対立するキャラクターたちが「役割」を与えられた存在と割り切れる程度にパーソナリティが薄かったからに他ならない。もちろん当時からキャラは個性豊かで魅力的だったが、それと愛着はまったくの別問題である。愛着、共感は時間の長さに比例して強度を増していく。


ACとは理性的な人間が、しかし非常な決断をしなければいけないドライな世界観とのギャップ、理想と現実の乖離によって「非情」を感じさせる物語だ。その非情な決断を記号ではなく、「実感」させるデザインが、AC6の物語のナラティブ性を強く強化している。


この、命令をこなしてレールに載せて貰える受動的な人生を送りながら、最後に「自由意志」により道を選ぶ「野良犬」になることがアーマードコア6の物語…と言えるだろう。もしハンドラー・ウォルターによる労働環境が劣悪であれば離脱は必然だが、とても暖かい庇護下であるからこそ、そこから脱するという「自由意志」に選択の覚悟が見える。


だが、そうなってくるとAC6の第三ルートはあまりにも腑に落ちない。


まず、ACはどのエンディングが正しいのかは規定しない。ハッピーエンディングやビターエンドのような名称は使っていない。
しかし、どうしても最後のエンディングの印象が強くなる。


特に第三ルートは三周しないと選ぶことができず、しかもここに至るまで他の周回において散々話がにおわせられてきたものだ。これが正真正銘のラストバトルであると期待を高めさせられて挑むことになる。


だが、この第三ルートはアーマードコア6だからこその物語ではない。ここには他の2ルートにあった登場人物の葛藤は薄れ、「アーマードコア」というシリーズそのものの概念で強引に塗り替えられたシナリオだ。


他の2ルートにおいて、ハンドラー・ウォルターやカーラ、621とエアがそうしたように意志や決断が重要視されていた。
で、ありながら、第三ルート「賽は投げられた」において、どの勢力につくか…は選択しても、彼らの自由意志は希薄なものだ。
オールマインドによるコーラルリリース計画を知らされ、コーラルと人の共生の道が提示された。なのでオールマインドの提案にのる。この流れは選択をしているが、問題は第三ルートの621とエアは決断の重みを充分に理解していない



と、いうのも、プレイヤーが第一ルートと第二ルートを選ぶタイミングは絶妙で、ウォルターやカーラの思惑が判明し、彼らを突き動かしていた動機も理解する。そのうえで誰を殺すかを選ぶしかないし、その過程においてエアは「自分という個の継続によらない、連綿と受け継がれる形の人間の意志」について洞察を深める。



相手の目的や理由を知っているからこそ、それでも銃口を向けることを選ぶから理想のぶつかり合いがうまれ、葛藤と悲壮さが増すのである。


で、ありながら、第三ルートにおいて621とエアはウォルターやカーラの動機を知る前にオールマインドに肩入れすることを選ばなくてならない。
そして、ふたりが動機を知ることはない。


突然眠らされ、起きたときには既にウォルターたちとの交戦は始まっており、戦わなければ死ぬ状況であったのだ。
自分の命が脅かされる状況で目が覚めたときに反射で向ける銃口に意志はあるだろうが? それは防衛や本能によるなし崩し的なものであり、失われるものへの理解が薄い状態で下した選択はあまりに…軽い。


その後、ウォルターたちがオールマインド勢力と交戦していることを聞いたエアの反応はもちろん好意的なものではない。しかし、それは「仕方ない」「そういう選択肢を選んだんだし」といった程度のものだ。
これがルビコンの解放者におけるウォルターを前にしたエアなら、「辛いのはわかります! しかし反撃しなければ貴方が死んでしまいます!!」といった雰囲気の決死の反応をする。当初のエアからは考えられない取り乱しようだ。はたして、第三ルートで実際にウォルターと対峙したエアは同じ反応をできるだろうか?


一番問題なのは、結果的にこのルートの621とエアはついぞウォルターと再会することはなかったことだ。


ウォルターとの対決も、カーラとの交流も、ラスティとの決着も、すべてオールマインドによって終わらされた。
選択の代償を支払うことなく、ただ選んだだけで気づけば最後の戦場に立っていた。
自分が選んだことの非常さを理解できないまま、621とエアは言葉を違えたオールマインドに反撃する。それはただ降り掛かってきた火の粉を払うだけの、ただただ強い生命体。旧来のレイヴンを悪く解釈したときに現れるステレオタイプなイレギュラーだ。


そして、イレギュラーとなった621とエアは自分たちの選択によりコーラルリリースを発生させる。これまでオールマインドに自由にされてきた意趣返しとして、ウォルターやAIに指示される間違いのないレールから外れて、選択の責任を追うべくコーラルリリースのトリガーを引く――。


……最後の最後で、自分でトリガーを引くのはいい。ここまでこのルートでは選択したといいながら、選択できなかったから、最後くらい自分たちで責任を持つ、といった台詞だ。
プロットとしてはそうなるのだけど、別に621もエアも「どうしてこうなった?」の意識があったうえでの行動ではない。オールマインドが錯乱しているし。
そもそも「とんでもないことやっちゃったかも?」と実感が他のルートより薄いのが問題で、悩む材料がないままに最終決戦をしていたのである。


で、エンディングは水の惑星(推定ルビコン)で621とエアが目覚めて終わる。
これが最後の問題点で。


なんとこれまでのエンディングではラストのムービーでも621のアセンブルは維持されていたが、この場面では621は初期機体で目覚めている。ムービーの都合で…なーんて手抜かりをここまで徹底したフロムがやると思いたくないので除外すると、621は自分の肉体以外の場所で目覚めている。


しかもACたちの色はいずれも薄く、オプティカルは赤だ。
ブラックホールの現出により肉体が消滅した621と、オールマインドにより取り込まれた人間の意識はエア(変異波形)と同じものになり、おそらくオールマインドによって運用されていた劣化コピーACを操作する形で起動したのだろう。
このルートにおいても、エアが「コーラルを使った機体なら私でも動かせるようです」と設定を提示していることから、肉体がなくてもACの操縦ができる要素が生きているはずだ。さらにこのルートではオールマインドが積極的に劣化ACを操作していたようだから、おそらくあの惑星はルビコンであり、ルビコンに放置されていたAC群に意識と変異波形が宿ったのだろう。


肉体という最大の不自由から解放され、人類を新たな隣人とともに生きられる高次の生命体にする…といったものはSFでは古典的なものである。


だから、「コーラルの共生」といった選択の物語として、この終わりには疑問はない。が、最後にエアはこういう。


「戦闘モード、起動」


……は?



これはもちろんファンサービス的でもあるし、「私たちの戦いはこれからも続いていきますよ、レイヴン!」「これからもサポートしますよ!」な結婚宣言なんだけど、最大の問題としてこのルートにおけるエアは人間への理解が浅いままにこの台詞なのが問題だった。


他の2ルートにおいて、エアは「人の意志」について理解を深めているのは前述した通りであるが、「賽は投げられた」ルートにおいては、エアは人の自由意志についての知見がなく、ひとつの知性体として自身と同族の生存をさせるためにオールマインドに提示された共生案に乗ることになる。どちらの種も犠牲にならない(人外目線だが)選択肢が提示されたうえに自分に命の危機があるなら当然だろう。


で、当然の選択をした結果、反証に出会うことがないまま、エアは他ルートと異なる独自研究によるアプローチで人間とACに理解を深める。


曰く人間の形は戦いに向いていて、戦うことこそが進化の手段なのでは……というもの。
本作ではこの思想に寄り添う形をとっていて、だからこそ武器腕はないし無人機では有人ACに勝てないとのアーカイブが残されている。エアは人であることの意味を闘争に見出したのだ。


これはアーマードコアに共通した思想で、AC5の敵である主任も「戦いこそが人間の可能性かもしれん」と示唆している。
戦い、道を切り開いていく。それは悲壮なものだが、そうやって進化を進めていく……この結論に異があるわけではない。



だが、この結論を出してしまったのが、このルートのエアなのがただただ悲しかった


このルートにおける文句はもうこの一点に集約されるといっても過言ではない。


621、ウォルター、カーラといった個人に触れて人間を知っていき理解を深めることのできるエアが、その機会を与えられることもないまま「戦いは人間の可能性なんですね!」と理解してしまう。それを物語の中で学習するならいいが、エアはアリーナというシミュレーションの中で理解してしまった。


銃爪の重みをしることなく、理屈の上での理解で621の肉体を滅ぼしてしまい、その自覚ができないまま口にする「戦闘モード起動」は、狂ってしまった機械を見るようで、画面の前で呆然としてしまった。
まるでGoogle検索で世界を知った気になった子供が虐殺論や徹底抗戦をリアリズムぶって語ってしまうかのような空虚な思想に落ちついたようで、「このエアは、自分の知っているエアと言えるのか?」と。新たな秩序システムの誕生に荷担してしまった恐怖があった。
ブラックホールを美しいと言い、花火も綺麗と表現するエア。それを見るプレイヤーもまた、人外が人間の感性を理解したように、人間として人外の感性に共感を示す……そんな理解しあう倒錯的な場面として受け止めたかった。


このルート、一番重大で致命的な決断を下すわりに一番本人たちの心理的障害となる葛藤が削除されたルートだから、その結末に向かっていく過程にエモーショナルさがなかったんですよ!


しかも第三ルートにおいて、エアが戦いを理解するのはお話の外同然の場所だったし、シナリオ自体も戦いそのものに取り憑かれていくような話でもない。なのにシナリオとは無関係のところ「人とは闘争のため……」と言い出すエア。
だって621は最初から最後まで目的のために戦う人物だから、勝ち取るための戦いであって戦いは目的ではない。もちろんその手段として発生する戦いの中で新たな進歩が産まれるわけだが、特に本作の第三ルートにおいて621とエアはそのような思想のぶつかりをする人間と出会わなかった。自分を不意打ちしようとしていたモノを殺したりとかくらいで、それは自己防衛であって意志決定による能動的行動ではない。


ずっとぶち上げられているテーマと実際におこなっている行動の不一致、これもプロットとして強く問題を感じていた箇所だった。
目的と手段の不一致。

コーラルとの共生を望んでルートを選んでいるのに、終わってみれば主人公が得た結論は「永遠の闘争」である。
目的は達成されてはいるけど、別に「永遠の闘争」を望んで選んだ選択ではない。望んだものが得られているけど、ついでにいらないものまでついてきたうえにそちらも本質かのような挙動をされるので、「ち、ちが…そんなつもりじゃ……」が拭えない。


総括すると、
・自由意志を掲げていたシナリオにおいて、決断の重みを理解しないままなし崩し的に進むシナリオ
・降り掛かってきた火の粉を振るったら目的が達成された場当たり感
・しかも一番葛藤が薄い構成なのに影響と被害は甚大
・キャラクターが踏むべきイベントを踏まず、プレイヤーとのミッション経験を踏襲しない結論に達する


これらにくわえて、
しかもこのルートが散々におわせ続けた攻略順固定の最終ルート
これがデカすぎた。


ひとつのエンディングとしてこれがあればよかったのだが、「えっ、こんなに苦労してたどり着くのがこのお話なの!?」感が強い。
正しいエンディングを作らないためにハッピーやビターなどの表記がないのはいいのだが、攻略順に固定があるなら、当然最後のルートの印象が強くなるし、このエンディングこそが真相と受け取ってしまう。

たとえばエロゲのFate/stay nightの最終ルートでは、攻略順固定なのは共通しているが別に最終ルート以外が前座と感じることはない。これは後日談があるし、選んだ選択の重さが等価値だからだが、AC6は第三ルートのみ、結末後の621が描写されている。明らかに時系列的な深度が一番深い。エンディングとしての価値が一番大きいのだ。

そんなAC6の最後のシナリオが、自由意志を標榜するAC6の物語として一番自由意志が弱く、なし崩し的に世界を変えるイレギュラーとなる「アーマードコアというシリーズのテーマを上の次元に勧める総決算」になってしまい、ここまで作り上げてきたAC6のキャラクターと世界が上書きされてしまったようで、本当に虚しくなってしまった。


でも一番引っかかってるのはなにより、一度は人間の理解を深めていたしそれが出来ることを知っているエアが、621以外との人間の感情に触れる機会を失ってしまって、人間を「個」でなく「種」として見る結論になってしまい、人間に似た思考を持っているだけの異なる知性体であるとなってしまい、世界に遍在して戦いによる進化で人を導くことになる新たな人ならざる体制になってしまったことだ。


621は共生を選んだだけなのに、戦い続けることまで強いられる。
「戦闘モード起動」この声が告げるのはコーラルとの共生ではなく、コーラルによる寄生ではないか?


他者への無理解と知性だけで考えた机上の空論で、心理的な負担や障害を得ないままに機械的に人を顔のないアーマードコアに変えてしまった結末。
苦労の果てに手に入れたものが、今はただただ虚しい。



――――――――――――――



ここからただのダベりなんだけど~~~


せっかく周回ごとに差分発生させたりミッションの変化でぞわぞわさせたわりに第三ルートが薄味がなのが肩透かしだったんだよな~!


FateでもHFが一番好きなので本来活躍したキャラがすぐ死んでしまったりするif、歪んでいく物語ってコンセプトは好きなんだけど、「賽は投げられた」ルートって賽は投げられたけどゲームマスターしてるのはオールマインドなのでただオールマインドのガバ計画に振り回されてるだけじゃん! ってなる。
何度もいってるけどウォルターら他のキャラクターたちの因縁に決着をつける機会もうしなってるから、このルートの621ってただの労働力でしょ?


しかも621がウォルターのハウンズになったのって、自分の人生を買い戻すためでしょ。だからウォルターだってお前の稼いだ金で手術を受けて…というわけ。621は強化人間として感情が薄れているけど金さえあれば直るのは確定しているし、そのためにルビコン入りしているわけ。


戦う過程で心情が変化するのはいいし、出会ったエアやコーラルを知って共生を目指すべく首輪付きから野良犬になるのは良い流れなんだけど、それでどうして永遠に戦い続ける機械の身体やねん。肉体を取り戻そうとしてたけど、いっそ失ったものを取り戻すのではなくいっそ「燃え残った肉体すらも焼き尽くして」「次のステージに行きましょう!」ってこと? それは理解するけど、でも別にそこに「永遠の闘争は関係ないだろ!」と思う。その結論にはならないよエアさん! 思想を上書きしてきてない!? アンドロイドでも作ろうぜ惑星を移動できる技術力なら普通に作れるでしょ。


燃やし残したものを燃やして秩序を維持する形で解決する火ルート、
燃やし残したものを燃やさず未来に解決を願う解放者ルート、
いっそ既存の常識である肉体を燃やして次の存在となる賽は投げられたルート。


と書くと全部対応してるしまあACfAなんだけど、ただただ「その結論にはならんやろ…」ってフラグを満たしてない話&これまで積み上げたものが作品固有のものが「アーマードコア」によって上書きされた感じで本当に困ったね。621もアーマードコアになっちゃうってるからね、二重の意味で。

しかもこのエンディングって無人機じゃ有人ACに勝てないの理由と矛盾してない? 身体性を失った621がACを操作しても、人の身体の形状に意味があるって話だったんだから、生前の能力は発揮できないとおかしいわけで、エアと共生した時点でもうACの操作に囚われる意味もない気がするのだが……。


これがなー、素直に他の世界を観測できていたりループ構造だったりして、「他ルートのことも知っている。そのうえでこの選択を選ぶ」としたエアだったら自分は受け入れたけど、「葛藤しない(する材料に出会わない)ままに人類を滅ぼす」のは、他のルートにあった選択のハードさがない一番心情的イージーモードだったのが、「本当によかったんですか……?」ってことです。


ハッピーエンディングはなくても良いけど、それでもプレイヤー勢力はコトの重大さや前提条件を理解しきったうえで、それでも能動的にどう関わっていくかの決断を下した過程であってほしいんだよな~~~~~。


だって異なる生命体同士が共闘してるところに「共生できるよ」って言われたら飛びつくのは生存本能として当然だし。
Chapter4あたりからはずっと「えっ、本当にそれでいいの? えっ、なんか知らないからスイスイ選んでるけど大丈夫? いやいやこれ致命的にヤバイことになってるけど!!」ってすれ違いコント見てるみたいでずっとシナリオに乗れなかったよ……。


情報が足りてないのが分かりきってる中で進む第三ルートは、破滅にすすむアメリカンニューシネマとかそういうんじゃないタイプの、ただ失策で誤った答えに導かれていくような人を見るようだったよ。


ちなみに俺は第三ルートのみアンチと化してるような文章を書いていますがそんなことはなく、楽しめたぜ……おまえとは……のスタンス。
だってACVのときは「ふーん、悪くないじゃん」くらいで普通に楽しむだけだったからね…好きとか思い入れがあってこそ「これ解釈おかしくねえ!?」って紛糾して頭まわせないわけで。


まあ第三ルートはこうして書き出してみると「ああ、あえて現代にアーマードコアの一般的な物語をリブートしたんだな…」ってだいぶメタ的なリバイバル作品として理解できるし、なんだったらオールマインドの目的的に621たちの精神がケアされているのも正しいとは思う。
けど、それらを加味したうえで必要なフラグとイベントもなく下されたコーラルリリースの結果に拒絶反応を持ってしまう程度に、俺はAC6の面々が好きになりすぎてしまったので。



じゃあ俺はそろそろコーラル・アンドロイドを操作するエアさんにサポートされる妄想に戻るのでこれにて失礼。



フロムソフトウェア。なにがあろうと私は貴方の帰還を歓迎します