批評にまとわりつく金魚の糞みたいな褒め方
批評に関するクソオタク仕草ってご存じ?
世の中って何故か「褒めるのが弩級にヘタクソ」な人っているじゃないですか。
これは別に「面白かったです!」「好きです!」とか一言しかないみたいなことじゃないです。
だって感想を言う人は「感想を言う専門家」じゃなくてただの一般人なんだから拙くて当たり前です。
じゃあ「褒めるのが弩級にヘタクソ」な人はなにが問題なのか?
それは「褒めるときに何かを貶したくて貶したくて……しゃあない!!!」みたいな人だからですよね。
いるでしょ、何かを褒めるときに嫌いな何かを貶す言葉を併記してしまって「余計な一言が付け足されただけで褒められてるものがしょうもなく見えてきたな……」ってなるやつ。
しょうもない人が褒めてるものってしょうもなく見えるでしょ。
反ワクチンの人間が「これは絶対安心の飲料水!!!」って褒めてたらそれだけでデバフかかるでしょ。
おまえが褒めることが対象そのものへの迷惑になるんだよ、わかれ。
で、そういった「褒めるときになにかを貶してしまう人」はよくいるわけですが、弩級にヘタクソタイプはさらに発展しています。
「(褒めている対象)以外は価値はない」
と口にします。
か……価値はない!?
しかも嫌いな何か具体的な対象を指すんじゃなくて、褒めてるもの以外、すべて価値なし!?
ど……どうやって網羅して比較したんだ……???
と、かなりドン引きしてしまいますが、パッとは思い当たらない存在かもしれません。
さすがに作品を褒めるときには、ここまで主語を拡大している人は「おかしな人」扱いを免れませんし、ふつうに正気に戻るんでしょう。
こういった「褒めてる対象以外価値なし!」と言う人が生息するのは、主に批評沼です。
他人の批評を褒めるときに「この批評が最高、これ以外価値はない」と何故かそれ以外の批評や感想を無価値なものにしようとするんですよね。
そんなまさか…と思うかもしれませんが、います。
主に逆噴射先生系の砕けた口調だったり乱雑で勢いに任せた批評*1に金魚の糞みたいにくっついています。それらのコラムや批評を褒めるツイートの中に、「この批評以外価値なし!!!」とぶち上げてしまう人がいるんですよね。
何故、そういった特定の論調の批評を褒める人間にこういった手合いが多いのか?
根本的に「恋愛で泣かすよりギャグで泣かした方が立派だぜぇ~!」みたいな斜に構えメンタルが付随してるからじゃないですかね。仮に立派なものを見たからといっておまえが立派なわけではないし立派ではないおまえの判断に価値はない。
格言やビジネス書を見てすごい人間になった気になって行動が変わらないおっさんと一緒。
で、そんな彼らが幼稚すぎるな…というのは言うまでもないとして。
実害があり、害悪でもあるからキレるんですよね。何故なら、「本当にそれ以外の批評に価値がない」わけでもないし、なにより人の感想という多用であるべきものを「正解」というファンタジーに集約させようとする流れを生むからです。
批評やコラム、感想も出力された成果物である以上、出来不出来は絶対的に存在するわけだし、「よかった」「悪かった」は絶対に決まります。
しかし、「個人の感想、受けた印象」は誰がどんな成果をあげようが影響を受けないものなうえに個々人の立ち位置によって決まるものなので、正解――価値、無価値を決める指標など存在しませんし、できません。
それらを「絶対的正解」で無価値化しようとする言動が傲慢だし、浅はかだし、評するといった事柄から乖離する反知性的な振る舞いなので最悪なんです。
歯に衣着せぬ口調や論じ方はなにものにも付帯しない真実、みたいに持て囃してしまうの気持ちはわかりますが、だいたいそれって反体制かっこいいみたいな動物的欲求からくる反射的言動ですし、その気持ちを楽しむだけならともかく表だって持論としてぶち上げたら終わりなんですよね。
ある程度話題を総括できている記事だったりと批評としての価値が高いのでとりあえずこれを読め、は成立するんですけどねー。「砕けた口調系批評」に生息している人間の「褒めながら他を貶すヤツ」は表現がヘタクソなのでこういう言い方になるし、引用元に価値があっても褒めてる当人はただの口の悪い邪魔者*2になってしまうんですね。
D&D映画の批評とかTwitterの批評でもこういうのがくっついてきて「限界だな…」って思っちゃったんだよね。
マジで粗雑な口調の批評を引用してそれを褒めながら他を貶し始めるマン! 格言を見てしたり顔おじさんのオタク版だから勘弁してくれ~。