娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

歴史上から無視されてきた人たちの人生【続く道 花の跡】

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ジャンプ+にすごい読み切りがきていた。どうして「すごい」とビビってしまったかと言えば、これまでの人生において存在するはずなのに都合良く無視してきた人たちが主人公だったからだ。


例えば、戦争がテーマの作品であれば、主人公は戦う軍人であったりする。はだしのゲンも、主人公は一般人だが、戦争というものが中核にあり、それに強く縛られた行動をとる。
しかし、「この世界の片隅に」でいえば、戦争により大きく影響を受けているが、あくまで「主人公が生まれて生活をしている時代に戦争がおこっていた」ように、その時代における一般人の生活を書こうとしていた。


今作においては、「技術革新が起きた」タイミングの一般人が主人公なのだ。





技術革新の話といえば、主人公となるのはやはりサイエンティストになるのが多いだろう。
実在人物を主人公にした教育漫画は多いし、そのとき、書かれるのは当然新たな技術を作ったために保守的な抵抗勢力との戦いが発生するという障害と、世界が変わるという報酬と結果で決着する。


しかし、それらにおいて一般人が出てくる時間は限られていて、与えられる役割は「喜ぶ」一般大衆か、「拒絶する」愚かな人々が精々で、書き割りだ。


技術革新の話とは、主人公に関してのみミクロに語り、それ以外はマクロな広い視点で語られてきていたのだ。事実は語っているが、悪い言い方をすれば勝者によって作られた歴史であり、そこには当時生きていた人々の生活のリアルさには都合良く黒線で塗りつぶされている。

これは素晴らしい技術なので不幸になった人はいなかった、でも抵抗していた愚かな人達はいたんだよ。こういった話を作るために、主人公に向けていたカメラの中に犠牲者が映り込みそうになったら急にカメラを衛星写真に切り替えて俯瞰的に世界を写すことで倒れた人間から目を逸らさせていたといえばいいか。


この視点はこれまで考えもしなかったが、【続く道 花の跡】の素晴らしいところは一般人を主役とすることで時代を表現しようとしていることだ。


古い時代の、まだ女性が学を積むことにいい顔をされなかった社会情勢の中で社会に出ていく手段や稼ぐ方法がない。しかし、己と自分の能力と才能を労働力として生かすことができた「計算手」として社会に参画することができた。


あるいは、社会には「こういう仕事をしなさい」といわれながらも、それをする素養にかけているためにレールに乗れなかった人が、「でもこの仕事は私の能力を生かせるから」と向いていることを仕事にして社会に貢献しようともする。


でもそれが技術の発展で突如いらないものとして失われるのだ。


本人たちに非はないし、当然怠惰でもない。
技術によって殺された……と言うのも、また違う。技術は間違いなく、人類をより良い方向に進ませるために作られるものだ。少なくとも最初の段階では、そのような夢を見ている。


事実、本作において計算機の開発者は、新しい仕事が生まれると語っているし、特別な判断力が必要とされる人間の仕事ができるとされる。


が、しかし、語られる技術のおかげで誕生した新しい仕事と豊かな未来は中に、歴史に消えた一般人たちの姿はない。


学問をする機会がそもそもないし、選択肢自体がなかった。作中の女性は結婚とそれに伴う転居と言う形で、そもそも「計算手」としての仕事を全うすることができなかったし、それがなくても本人にできること、やりたいことは「計算手」そのものだった。


こうなってくると、それって技術に適応できない人間が悪だったのか? と、これまで無自覚に受け入れてきた物語に疑問がでる。もちろん彼らは悪人ではなかった。自分がやりたい仕事という「特別」を、でもそれは「特別」じゃないしもっと他のことができるようになるからいいよね…と突然に「不要」とされた人に過ぎない。


こうしてみると、仕事がなくなる、なくならないは運でしかないし、代替できるようになっても価値がなかったわけじゃないのがよくわかる。
なのに、技術革新によっては後付けでただ労働力を売るだけの価値のない仕事にされるし、否定的な意見は対極をみえない保守派として敵対勢力に描かれるのが技術史だし、たとえば偉人の物語だったわけだ。


それを現代に生きていると当たり前に受け入れるし、そもそも無くなった仕事の名前や存在すら知らない。
技術や発明の正しさを、自分たちの人生で証明してしまう。


けど、そもそも「知らない」ものの価値を感じることはできないから、やはり失われた仕事は価値がなかったわけでもないし、なくてよかったものでもはない。単に、現代を生きている人間が「知らない仕事」だから思いを馳せることができなくて、年月の経過により社会に技術が馴染んでも、それは人が技術を受け入れたというより、技術がなかった頃を知らない人間が増えた人類規模の新陳代謝により、なし崩し的にマージされたといった方が正しいのだろう。


もちろん技術を否定するわけではなくて、でも当たり前の話だけど物事には常に光の当たらない部分があり、それは今まで例外として都合よく目を逸らされてきていたわけだ。


そういった見えてなかった、黙殺されていた部分に対して、「今はもうないけど、こういう世界があって、生きていた人がいるんですよ」と昔の日本における女性を主人公を通して失われた花の名残として描くのが白眉なんですよ。


どちらに肩入れしすぎることもなく中立的で、ただ人生の場面を切り取ったような、優秀でも堕落していたわけでもない、ただ時代を生きていた人……の視点から見る体裁による転換期の表現。
これは歴史の分岐点を一般人の視点で書くことで、変化の解像度をあげている漫画で、まさに現代に生まれるべくして生まれた作品と言えるのではないか。


震災がフィクションの災害描写をあげた(あげてしまった)ように、今は人工知能の登場で歴史の移り変わりに対する解像度が上がった時代なのかもしれない。