【ウマ娘3期】及川版ウマ娘は「感情的」な物語である
及川版のTVアニメシリーズ ウマ娘は、基本的に「感情」によって物語が進行するエモドラマである。
これはキャラクターのエモーショナルな面にのみフォーカスを当て物語を単純化することにより、キャラクターの変化や成長といった面を際立たせることができる利点がある。
物語とはつまり、キャラクターにもたらされる変化をドラマチックに書いたものとも言えるから、省略化はひとつの面においてただしい。こういったものがエモジャンルと呼べるのかもしれない。
ただし、エモを押し出した作品が成功しやすいものとそうでないものがある。
私見だが、エモを押し出す場合、それはアーティスティックな作品ほど違和感なく成立する。
例えば音楽を題材にした作品や、ミュージカル、アイドルなどだろう。
これらは、人物の心情的変化=内面の成長が、直接彼らの行動に影響を与えやすいからである。演劇ならば、より役を深く理解する成長を遂げた結果、それが演技に反映されて作劇上の困難をクリアする……といったものである。
もちろん、冷静になると現実はそんなに単純ではない。
「気持ちの問題で技術があがるなら世話ないよ」
そう、ウマ娘の問題点もこれである。
及川版ウマ娘は、「気持ちの問題」で「レースというフィジカルの戦い」を乗り越えることができるのである。
【ウマ娘3期】超高級食材を使った普通のアニメ
キタサンブラックという名馬がいる。
競馬とはギャンブルであり、まだまだ後ろ暗い印象を持っている人間は山ほどいるだろう。
それでも、現代人が知っている馬名がふたつある。
ディープインパクトは圧倒的な名馬として、そしてキタサンブラックは愛の感情を持って口頭にあがる。
それは北島三郎というオーナーの人柄だし、血統主義な世界において頂天へと上り詰めた王者としてのキタサンブラックの馬生そのものによるものだ。人の口からキタサンブラックの名がでるとき、基本的に「陽」の気配を持っている。
さて、そんなキタサンブラックを主役にしてスタートしたアニメがウマ娘のSeason3であるわけだが、これが面白い。
面白い。面白いよ。面白い。うんうん、普通に面白い。
普通じゃダメだろうが!!!!!
こんな最高級の素材を使って!!!!!!!
普通の作品になったらダメだろうが!!!!!!!!!!!
と、楽しみながらも毎週「いや、もっと面白くできるだろ……」と怒る日々を過ごしています。
面白いならいいじゃないか、の気持ちもあるのだが、じゃあ1000万の食材を使って1000円程度の料理と同じものが出てきたらどう思うだろうか。
「そりゃ美味しいけど…これ食材そのまま出してくれた方がいいのでは?」「料理することで逆にマズくなってない?」とメチャクチャ残念な気持ちになるでしょう。
つまり俺はウマ娘Season3を見て「せっかくの食材が台無しだよ!!!」とガッカリしてるのである。
とはいえ、俺が競馬を嗜まずにウマ娘も見ていたら、それでも満足はしていたはず。で、ありながら競馬を知ってるだけで「オイオイ……」となるのは、ウマ娘3期がキタサンブラックを主人公しながら、そこに登場するのは「キタサンブラックの名前をしたまったく別のキャラ」になってしまっているからです。
続きを読む【ストーリーバレ】アーマードコア6は“アーマードコア”になってしまった物語
AC6をクリアした。
プレイ中は難易度に毒づいていたものの、トータルで見ればこれまでのACとフロムの集大成であり、ストーリーにいたってはこれ一本でACの基本フォーマットを学べる総決算のような作品だった。
それだけに、話題性にひかれて購入した新規層が不慣れなビターエンドの数々にもにょってしまい、言語化が追いつかずにそれを「不満」「欠点」として出力しているのも、まあ悲しいとは思うがそれだけ売れたということなので非常にニッコリしている。
ただ、AC6のエンディングについての不満はこんなことを言っている自分の中にも存在する。
クリアした直後は燻っているモヤモヤの正体がわからなかったのだが、ようやく頭の中で整理が付いた。
一言でいえば、
アーマードコアの第三エンディングは、「アーマードコア6といった個の作品を、アーマードコアというシリーズに集約させてしまった」。
というわけでここから全ルートのネタバレ前提の感想のため注意されたい。
続きを読む批評にまとわりつく金魚の糞みたいな褒め方
批評に関するクソオタク仕草ってご存じ?
世の中って何故か「褒めるのが弩級にヘタクソ」な人っているじゃないですか。
これは別に「面白かったです!」「好きです!」とか一言しかないみたいなことじゃないです。
だって感想を言う人は「感想を言う専門家」じゃなくてただの一般人なんだから拙くて当たり前です。
じゃあ「褒めるのが弩級にヘタクソ」な人はなにが問題なのか?
それは「褒めるときに何かを貶したくて貶したくて……しゃあない!!!」みたいな人だからですよね。
いるでしょ、何かを褒めるときに嫌いな何かを貶す言葉を併記してしまって「余計な一言が付け足されただけで褒められてるものがしょうもなく見えてきたな……」ってなるやつ。
しょうもない人が褒めてるものってしょうもなく見えるでしょ。
反ワクチンの人間が「これは絶対安心の飲料水!!!」って褒めてたらそれだけでデバフかかるでしょ。
おまえが褒めることが対象そのものへの迷惑になるんだよ、わかれ。
で、そういった「褒めるときになにかを貶してしまう人」はよくいるわけですが、弩級にヘタクソタイプはさらに発展しています。
「(褒めている対象)以外は価値はない」
と口にします。
か……価値はない!?
しかも嫌いな何か具体的な対象を指すんじゃなくて、褒めてるもの以外、すべて価値なし!?
ど……どうやって網羅して比較したんだ……???
と、かなりドン引きしてしまいますが、パッとは思い当たらない存在かもしれません。
さすがに作品を褒めるときには、ここまで主語を拡大している人は「おかしな人」扱いを免れませんし、ふつうに正気に戻るんでしょう。
こういった「褒めてる対象以外価値なし!」と言う人が生息するのは、主に批評沼です。
他人の批評を褒めるときに「この批評が最高、これ以外価値はない」と何故かそれ以外の批評や感想を無価値なものにしようとするんですよね。
そんなまさか…と思うかもしれませんが、います。
主に逆噴射先生系の砕けた口調だったり乱雑で勢いに任せた批評*1に金魚の糞みたいにくっついています。それらのコラムや批評を褒めるツイートの中に、「この批評以外価値なし!!!」とぶち上げてしまう人がいるんですよね。
何故、そういった特定の論調の批評を褒める人間にこういった手合いが多いのか?
根本的に「恋愛で泣かすよりギャグで泣かした方が立派だぜぇ~!」みたいな斜に構えメンタルが付随してるからじゃないですかね。仮に立派なものを見たからといっておまえが立派なわけではないし立派ではないおまえの判断に価値はない。
格言やビジネス書を見てすごい人間になった気になって行動が変わらないおっさんと一緒。
で、そんな彼らが幼稚すぎるな…というのは言うまでもないとして。
実害があり、害悪でもあるからキレるんですよね。何故なら、「本当にそれ以外の批評に価値がない」わけでもないし、なにより人の感想という多用であるべきものを「正解」というファンタジーに集約させようとする流れを生むからです。
批評やコラム、感想も出力された成果物である以上、出来不出来は絶対的に存在するわけだし、「よかった」「悪かった」は絶対に決まります。
しかし、「個人の感想、受けた印象」は誰がどんな成果をあげようが影響を受けないものなうえに個々人の立ち位置によって決まるものなので、正解――価値、無価値を決める指標など存在しませんし、できません。
それらを「絶対的正解」で無価値化しようとする言動が傲慢だし、浅はかだし、評するといった事柄から乖離する反知性的な振る舞いなので最悪なんです。
歯に衣着せぬ口調や論じ方はなにものにも付帯しない真実、みたいに持て囃してしまうの気持ちはわかりますが、だいたいそれって反体制かっこいいみたいな動物的欲求からくる反射的言動ですし、その気持ちを楽しむだけならともかく表だって持論としてぶち上げたら終わりなんですよね。
ある程度話題を総括できている記事だったりと批評としての価値が高いのでとりあえずこれを読め、は成立するんですけどねー。「砕けた口調系批評」に生息している人間の「褒めながら他を貶すヤツ」は表現がヘタクソなのでこういう言い方になるし、引用元に価値があっても褒めてる当人はただの口の悪い邪魔者*2になってしまうんですね。
D&D映画の批評とかTwitterの批評でもこういうのがくっついてきて「限界だな…」って思っちゃったんだよね。
マジで粗雑な口調の批評を引用してそれを褒めながら他を貶し始めるマン! 格言を見てしたり顔おじさんのオタク版だから勘弁してくれ~。
歴史上から無視されてきた人たちの人生【続く道 花の跡】
ジャンプ+にすごい読み切りがきていた。どうして「すごい」とビビってしまったかと言えば、これまでの人生において存在するはずなのに都合良く無視してきた人たちが主人公だったからだ。
例えば、戦争がテーマの作品であれば、主人公は戦う軍人であったりする。はだしのゲンも、主人公は一般人だが、戦争というものが中核にあり、それに強く縛られた行動をとる。
しかし、「この世界の片隅に」でいえば、戦争により大きく影響を受けているが、あくまで「主人公が生まれて生活をしている時代に戦争がおこっていた」ように、その時代における一般人の生活を書こうとしていた。
今作においては、「技術革新が起きた」タイミングの一般人が主人公なのだ。
続きを読む笑い話として消費される男へのセクハラ
ジェンダー問題やポリティカル・コレクトネス、最近では意識から消すことはできないであろうほど世間に浸透してきた概念です。
揶揄されがちな問題ではありますが、自分は発生する問題は政治的正しさの運用の仕方にあって、「まあこういう表現の加虐性に無自覚だったよね」と議論されることに関しては非常に前向きに捉えているのですが。
政治的正しさとして、一般的にイメージしやすいのは人種や性別に対する表現への問題提起が代表的でしょう。
ポリコレの扱われ方に嫌気がさしていても、創作で「女性は家庭にはいって内助の功を発揮するものだよ」なんて台詞があったら「ウオッ」と仰け反ってしまうかと思います。
女性の社会的な扱われ方、書かれ方は創作も現実も是正が入っているわけですが、何故か一向に手つかずの分野があります。
社会的な弱者男性です。
たとえば、女性に対して、
「キミ、まだ処女なの? 捨てたら世界変わるよ」
という発言を男性がしたとします。
これに対する反応なんて、
「おいおいおいおいおいおい……!」
「死んだわアイツ」
以外でませんよね。
ですが、下記のような発言を女性が男性に対して言ったらどうでしょうか。
続きを読むloop8はクソゲーなのか
芝村裕吏の新作ゲームとして(俺が)注目していたタイトル、loop8がつい先日発売された。
ガンパレード・マーチ、エヴァンゲリオン2の残党である俺の心を救ってくれる新タイトル……。
※心境はマジでこれ。
このゲームは面白かったのか?
正直に言うと、
プレイ初日からずっと不満点を箇条書きにしながらプレイしてました!!!
昔のタイトルの思い出の残り香だけが楽しめる残念ゲームじゃねえか!!!
クリアしたあとにブログにしてスカッとストレス発散してやるからな……*1をモチベに辛い部分を乗り切ろうとしてました。
いやぁ、戦闘シーンはカクカクだし背景は2D一枚絵、時間経過がはやくて常に急かされたようにプレイすることになるし、ええいこの野郎……と怨念を吐き出しながら遊んでたわけです。
ではloop8はクソゲーなのか?
*1:言葉を選んだうえで次回作以降やアプデの参考になるように所感をお送りしますね、の意味