娯楽三昧

迷宮式娯楽三昧・全年齢版

ウイニングポスト10のUIがダメすぎる話

世は競馬ブーム真っ盛り!

そんな中で競馬ゲームシリーズ・ウイニングポストもついにバージョンアップがされ新たなナンバリングタイトルとして新登場!


登場……


なんだけど……



このゲームちょっとUIがクソすぎない???



もしかしてExcelで作ってらっしゃる???


となったので、ウイニングポストのUIがなんで不親切なのかの話をします。

  • まずメイン画面にダメがつまってる
  • ステータス画面のユーザビリティ・視認性の悪さ
  • 同じ機能を持ったボタンに複数の名前がある
  • アイコン類が名前に被るバッドデザイン
  • 馬に対して絶対に使わないといけない重要コマンドが収納されてる
  • おわりに
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批判の依存性について

批判。批評ではなく批判。

インターネットを見ていると批判というのには猛烈な中毒症状があって、人はそれに依存していく負のスパイラルがあるよなー。という話。

なぜ批評と分けたかといえば、


だって書くのが大変だから!!!


批評、評論をやったことがある人ならだいたい書くことの大変さはわかるのだろうと思う。
そもそもこの世に簡単な論文制作がないのと同じで、事実関係を確認し、主体と客体を分けて論じるのは非常に精神力も労力も使う。

書くことに労力が必要なら参入障壁が高すぎる。
依存とは逃避先であって、必然的に簡単なものであることが多かろう。登山に快楽を見いだすようなもので、そういった達成感を得られる人はまた別口の人と感じる。


もし「いや、批評は簡単だよ」と答えた人がいるなら、それは「批評」じゃなくて批評と思い込んでるだけの「批判」、「中傷」じゃない?


だからこそ、ちまたにはフィクションを論じる人はあふれているが、彼らは批評家ではなく批判家で、単に感情のはけ口を外に求めただけの存在なんじゃなかろうか。



なぜこんな話をするかといえば、「チ。」について気合いのはいった批評を見たからである。
「チ。」に関しての学問の扱いに関して否定的な趣旨の記事だったが、特にその記事を指弾するための話とかではないし、逆に記事の内容の趣旨にも賛同もしない。


内容としては、熱量があった記事なのでまとめてしまうのが心苦しいが、意訳をすれば「科学の話をしているのに、科学文化の勃興の歴史を属人化させて主張の従にしているのが不愉快」といった感じの話である。


自分としては、「恋愛をテーマにしてる恋愛漫画の恋愛はファンタジー」だし「SFだけど宇宙でビームの音はする」し、別に主題として扱っている題材が現実とは違う扱いをされていても気にしないし、瑕疵とも思わない。それはあくまで「フィクション物語」といった「デフォルメされた絵画」あるいは物語といった形に成形するために枝葉を整えられた木々のようなもので、脚色されたからといって、「まあフィクションは成り立ちからしてそうだし」のスタンスである。

これの方針を突き詰めると「現実だと現実と比べられてめんどくせえから危機回避のために植民地的に使える異世界を乱用すっか!」しか待ってないし、もっと砕けた言い方をするなら、創作とは自分の着目した部分の良さ(感情)を最大化させて伝えるための表現手段なので、取捨選択は必須事項でありそこの芸術点を競ってるイメージ。


ただ、切り捨てられた枝葉の部分こそが好きな人もいる。焼き魚の内臓が好きなのに「苦いので捨てておきました!」と出されたらイラッとするだろう。自分だってこうはいっているが、「性差別への問題提起をする現実を舞台にした漫画なのにセクハラが許容されたリアリティレベル」で意味もなく物語が展開されたら「えっ!? なになに!?」となるだろう。


でもそれは「自分は対象にされてなかった」といったマーケティングレベルの話なので、そこに文句をつけるのは「激辛ラーメン店にラーメンが辛いと文句をつける」ようなものじゃなかろうか。そこはもう個人差なので、作品の出来不出来と無関係に、「でも俺は嫌いだ」の流れは当然成立する。作品の完成度は好き嫌いを超越することを意味しない。


で、該当の記事は「作品は傑作だが、あくまで自分はこのスタンスで、この部分を重視しているので、不愉快だった」と個人の話なので問題ではない。登場人物がゲリラライブを始めたので警備をしている人間としてはコイツらはダメ、みたいなしょーもない話ではない。



こんな文章を書いたのは、翻って「批評は労力がかかるので、こういった本気の熱量をたたきつけてくるので論説に同意できなくても参考や知見を与えてくれるが、批判はそうではないな」と改めて実感させられたからで、相対的に「いやあ世の中のただ口が悪いだけの批判、マジでただ思想もなく点で見た揚げ足取りを汚い言葉でしてるだけだな……」となったからなのだなぁ。



もちろん批判は中傷ではないので悪ではないし、問題行動をしている人間がいたら批判されるのは当然である。が、じゃあそれは適切な相手に適切な言葉を選んでいたらの話で、批判をしている人ってそういうことはしないでしょ。



ぼくのかんがえたさいきょうのわるぐちを得意満面に披露してるだけじゃないか。

ただ罵倒の羅列を「キレた発言」と思ってないか。

社会で評価されてる立場ある人間を批評できる自分に対して逆説的な知性を感じてはいないか。

他人が時間をかけて作り上げたモノを数秒で考えた理屈で殴ってインスタントに自己証明をしていないか。



ただストレスの吐き口を探してるだけで、中傷や罵倒によって間接的に得られる感情的対価を報酬として求めていたり、副次的にそれが得られてしまう状況にあらがえずに必要以上の言葉で何かをせせら笑ってしまっていないか。


でも自分で口にできるならまだマシな方で、最悪になればなるほど「自分が嫌いなものを批評、否定している人がいるならいいねを押して、支持することで自分の主観を客観的事実として認識」したり、「嫌いな人間がいる」という事実を利用して自分の正しさを承認されようとする。
あの作家の作品はあの大御所作家に嫌われてるんだぜー、とか。なんじゃそりゃ。知らんがな。


しかも今度はニュースやSNSのまとめのコメント欄には、そういった否定的なネガティブな感情を慰撫するためのスポークスマンみたいな人が常駐している。してない? こう、いいねされるためだけにいるような支離滅裂だけど否定的意見はしてるやつ……。いいねする人から見たら、いいねを押しただけで自分の中の「自分の嫌いなこいつは客観的にダメなのだ。自分は正しい」の脳内ストーリーを補強してくれると重宝されてそうな人……。でもいいねをされた時点でした人の目的は完了しているのでスポークスマンが反論されて困っていても別に助け船を出しにくることはないし、そもそも名前すら覚えられてない。


そして、そういった人たちが殴り棒として、前述の出来の良い批評とかを使い、「よって俺の嫌いな作品はダメなのである!!!」とおちょくり出すのだから、いやーなんともはや。


人間はネガティブな情報を過大に評価する性質があるそうなので、SNSといった他人の目に触れる場所でどんどん性格の悪い言説が強化されるのかもしれん。人間の衝動と感情に結びついているから、こういった安直な批判、中傷の形にしかなっていない感想はなくならないんだよね。
しかも批評と違ってすぐ数も打てるから癖になるし。


ただの口汚い、自分の感情を理屈の体裁をとって主張できず、客観と主体を分けて事実関係を整理して理屈として話さない。

そこに頼り出したらなかなか抜け出せずに仲間うちで下品な言葉で批判をしあうのが常習化してしまう。
だから批判には依存性があるだろうなぁ、と思ったのでしたとさ。嫌いな作品を軽薄に扱っている人間を見ると、そこから自覚して脱却するのは、相当な労力がいるだろう。新たな見方や楽しみ方、知らない世界を読むための副読本となる解説を提供してくれる批評の面白さは、ただ性格の悪いことを言ってワイワイ騒ぐことからは得られない。無論身内で言い合う分には面白いので、それでいいならいいがなー。

などとインターネットをしていると思うのでした。


人愚生命根絶。

DMM版ウマ娘を常にフルスクリーンでプレイする

この記事は古い内容なので現在の状況に適していない可能性があります。話半分に聞いてください。


DMM版ウマ娘、画質はいいんだけど縦画面と横画面が混在していて、しかも要所要所でウィンドウを可変させてくるので常にフルスクリーンでプレイできない。
普段はディスプレイを縦にしておいてライブの時はモニタを物理的に回転させてスマホみたいに対応しようかな~ と思っていたので、この仕様に悪戦苦闘。

PCだと育成かライブ、どちらかを犠牲にした状態で遊ぶしかないのかな、とガッカリしていたんですけど有志が公開したソフトを組み合わせればいけそうなのでやってみた。

※現在ではほぼほぼウマドだけで擬似的に再現できます。

目的

 縦型ウィンドウ時は縦にしたモニタに、横型ウィンドウのときは横にしたモニタにゲームをフルスクリーンで表示する

機材

 縦に配置できるモニタ
  →ピポット機能対応か、モニターアームの装着が可能ならモニタならなんでも。Windowsの設定でそのモニタだけ縦に設定しましょう
 横に配置しているモニタ
  →特に言うことなし

使用ツール

 ・BorderlessGaming
  →フルスクリーンに対応してないゲームをフルスクリーンにする。ボーダーレス化も対応
 ・ウマド
  →bironist氏の公開したソフト。ウマ娘のウィンドウの縦横比に応じてウィンドウの位置を任意の位置に自動で移動してくれる。マルチモニタ対応。

設定

 1 ウマ娘、BorderlessGaming、ウマドを起動する
 2 ウマ娘を縦モニタに移動させる
 3 BorderlessGamingでウマ娘を「お気に入り(自動化)」に放り込み、フルスクリーンにする
 4 ウマドの縦長サイズを記録を押下
 5 BorderlessGamingでウマ娘のフルスクリーン化を解除し、横モニタに移動させ、ライブを開始する
 6 BorderlessGamingでウマ娘をフルスクリーン化する
 7 ウマドで横長サイズを記録を押下
 8 上記で完了。あとはウマドの自動サイズ変更を有効化を押下し、実際にウマ娘の解像度変更時に正常に任意のモニタにウィンドウが移動し、フルスクリーン化するか確認する

以上。

縦と横の切り替えを頻繁に行うとBorderless化がされなかったりして手動でフルスクリーンにし直す(ボタン一個押すだけ)必要がでて首を捻っているんですが、改善できそうになかったのでとりあえず現在の環境を共有がてら記載しました。

 ※上記の設定をおわらせたあと、BorderlessGamingでウマ娘をフルスクリーン化させないように「サイズを変更しない」にチェックをいれると、BorderlessGamingがゲームをボーダーレス化し、ウマド側がウィンドウ位置と大きさを調整して擬似的にフルスクリーン化します。こっちの方がいいかも……(要検証)

それにしてもこのDMM版ウマ娘の環境問題、本当にかゆいところに手が届かない状態で……。

BorderlessGamingはフルスクリーン化するモニタをひとつだけ記憶できるので、たとえばウマ娘が解像度変更時にプロセス名を変更してくれているならそれぞれ別の設定を割り当てられるので解決できたのになぁ……ってなやんでました。
ウマドのお陰でなんとか解決したんですが、ふたつのソフトを併用している都合上、結構意図しない挙動もしちゃうんですよね(ボーダーレス化されなくなったり)。

公式側が解決してくれるのが一番なのにな~~~~ と思ってるので期待したいですね
DMM版だけ高解像度化とかもあわせて色々とこう……。

少年漫画のパロディとしての『鬼滅の刃』

鬼滅の刃の大ヒットぶりには日々驚かされるというか最早当たり前すぎて普通に受け入れてしまっている最近なのだけど、それでもこの大衆受けしなさそうと思ってしまった漫画がここまでヒットしているのかぁ、という驚きは常にある。

炭次郎のような少年漫画としては異例に近い出自の主人公などもそうなのだけど、そういうことではなくて。
鬼滅の刃は、そもそも設定が少年漫画という文脈のもとに展開された読者に予備知識を要求する漫画だなと最近気づいたのだ。

そういった作風がコア層じゃなくてマスにまで受けていることにビックリしつつ、話の構成を自覚的に受け取っていなくても、この話を読んだ時点でこれまでの少年漫画の展開が今後も続けられたら違和感を覚えるのかもしれない。創作の価値観のアップデートとはそういうもので、言語化できない違和感として歯車を回し、そして鬼滅の刃は価値観やトレンドを推し進める漫画なのだ。

そして鬼滅の刃が価値観を進めるためにとった、予備知識を求める調理の仕方は少年漫画のパロディだ。

※ここから先は最終話までのネタバレがあります。

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二ヶ月ぶりに家を出た

テレワークになって家から出る機会がメッキリ減った。気がついたら二週間家からでてないなんてザラである。そしてこの夏、気づいたら一ヶ月経っていた。
そんなときにふと脳裏をよぎったのが、

「これ……ワンチャン二ヶ月引きこもりの実績を解除できるんじゃね?」*1

というわけで追加でもう一ヶ月引きこもってみた。

二ヶ月引きこもってみての感想……

*1:そんな実績はない

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おまえは今すぐGhost of Tsushimaで伝説となれ

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結論から言うとGhost of Tsushimaはマジで傑作だったので早急に購入し優勝を越えて伝説となれという話をします。

何故ならこれはプレイできる時代劇としての現時点最高峰である。名誉ある死を奪われた侍が修羅の道に落ちていく様とスニークアクション、このストーリーとシステムが完全にあわさることで現代的なゲームシステムに侍を落とし込むことに大成功しているからだ。
侍が好きだから、日本文化が好きだから……だけではなく、日本の精神性や文化を尊重したうえでモダナイズされたお話を展開しているのである。


巷では気軽に「トンデモ日本」や「これでは侍ではなく忍者」、「所詮は海外が作った日本文化」と揶揄されることもあるが、それこそ「トンデモ」言説であると断言できる出来だ。ゲーム性とテーマ、コンセプトを無視し「リアルじゃないから」と批判するのは容易い。リアルは殴り棒として優秀である。リアルはお手本なのだ。けれど、リアルを殴り棒にする人間は、総じてリアルに寄せることが正しいかどうかに無頓着である。


日本刀で銃弾を切る人間が出ていたら「現実じゃありえないw」と茶々をいれるのか? 人型ロボットを見れば「こんなの動く的w」と言うのか? ウルトラマンを見て「街を一番壊してるのはコイツじゃんw」と言うのか? まったくもってナンセンスだ。


日本人は近代ヨーロッパと中世ヨーロッパの区別が付かない。中世ヨーロッパには国という意識は国民にはなかったそうだし、日本人が「中世か?」と言うときは大概はより未来の事案を参照している。Web小説ではナーロッパと揶揄される独自のヨーロッパ観が共有されている。


だが、それでいいのだ。


リアルを見たければノンフィクションを見ればよい。自分たちが見たいのは面白いフィクションであり、ありえない出来事だ。窓からうんこを捨てる西洋文明なんて見たくないから部分的に不採用にするし、後世の文化だけどあった方が見栄えがいいから採用する。それでいいのだ。


その観点でいえば、Ghost of Tsushimaは現実のリアルではなく、作中世界観におけるリアル(リアリティレベル)を完全にコントロールし、物語を始め、着地させた。当人たちは自覚のうえでだ。
スタッフは日本文化を調べ、そこに自分たちのやりたい、そしてこちらの見たいものをトッピングした。トッピングの理由付けも作中でおこなった。それがすべてだ。そこに現実はベンチマークとして介在する余地はない。


本題は、このトッピングの仕方の秀逸さである。
ゴーストオブツシマでは、対馬の地頭である志村家の甥として育てられた男、境井・仁が主人公である。両親を失いながらも伯父に育てられ、将来は志村から家督を継ぐことを期待された、光り輝かんばかりの道を進む侍である。
だが、彼は蒙古との戦で大敗し、志村は虜囚の身となり、自分ひとりが戦場で生きながらえてしまった。しかも、夜盗に助けられるという形でだ。


正々堂々とした戦いでの死は誉れである、といった価値観で生きていた仁は、しかし自分が死んでしまえば伯父を助ける者がいなくなる事実に直面する。対馬も蒙古に征服されてしまう。
これまでどおりの戦いではいられなくなった仁は、自分を助けた夜盗・ゆなの提案のまま、蒙古兵を背後より暗殺する……。


こうして、侍が卑劣な手段を用いることで日陰の道へと落ちていく導線が実に見事。


さらにシステム上での後押しも素晴らしい。

ゴーストオブツシマでは一騎打ちというシステムがあり、戦闘状態にない敵陣に一騎打ちを仕掛けることで一対一の戦いをおこなうことができる。一騎打ちでは敵を一撃で撃破することが可能で、最大3人(後半は装備により5人)まで連続で斬り捨てられる。
耐久力は無視で即死なので、序盤のうちは積極的に一騎打ちで敵を殺すことができる。誉れある侍としての戦いを続けることができるのだ。

しかし、中盤にさしかかれば敵はどんどん強くなる。一騎打ちの際にフェイントをかける、単純に素早い攻撃で敗北する、と一騎打ちの難易度が高まる。一騎打ちとは実力比べであり、実力が伯仲すればするほど勝つのは難しくなり、かつ一対一でも負けるかもしれない相手軍団とひとりで戦わねばならない……。

そんな窮地に立たされて、ついに直面しなくてはいけないのが暗殺だ。そして、これは人数制限のない即死行動である。


強敵がいれば誘き寄せて暗殺し、建物の中に入っては暗殺し、敵の集まりがあれば爆弾を投げ込み一網打尽にする。
最終的には、一騎打ちの有効性は変わっていないのに、プレイヤーもそれを使うことがなくなってくる。そんなときにストーリー上で仁は、偉大なる人物にこう言われるのだ。


「それは誉れある戦いではない」
「夜盗だ」


と……。
このバランス調整とストーリー展開のリンクが見事であり、没入感のある濃厚な時代劇を最後まで堪能することができた。
さらに、敵を殺しているのだからよい、誉れなど浜で死んだわ! と思う我々プレイヤーに対しても、アンチテーゼ、行動の代償を突きつけてくる様も無情感があり大変によいものだった。


さらに海外では忍者が大人気だが、忍者を最後まで名前すら出さないのがすばらしい。そのうえで暗殺をする仁の行動自体に忍者的な要素をくわえることで、侍系でありながら忍者の要素も盛った「日本時代劇見たいモノ全部乗せ」を実現したのだ。


真面目な侍像、手段を選ばぬ侍像、どちらも立て、落とさない。これは文化への敬意、挑戦心、知識がなければ間違いなくできぬものである。そこに冷笑的な現実にはこんな武士は……などといった指摘が入り込む余地はない。この世界は時代劇で、こういった種類の侍のいる世界であることを前提にしているのだ。この前提条件を読めないならもはや再現Vか大河ドラマでしか時代劇を楽しむことは不可能だろう。



ストーリーは面白く、システムは接近戦から暗殺まで申し分ない。装備によっては弓だけで敵陣を全滅させるプレイから気力の回復効率を上げて次々斬り捨てる、音もなく暗殺していく、といった自由度も高い。
グラフィックは現代における最高峰であり、オープンワールドでありながらどこを切り取っても綺麗な濃密さ。
狐や鳥に導かれて目的地に到達する雅な要素から、短編時代劇を見ているようなサブクエストに、写真を撮りたくなってしまう機能満載のフォトモード。


なにもかもが高水準でまとまった、色物ゲームに見えるガチのソフト。
それがGhost of Tsushimaだ。


発売十日でトロコンしてしまうようなオープンワールドゲームは、後にも先にもこのゲームだけの気がする。
ハイクオリティな日本の風景を冒険できるオープンワールド時代劇Ghost of Tsushimaは、時代劇を知らなくともジャンル自体に興味を持ってしまいたくなるほどの傑作である。

ステイホームなこの夏は、Ghost of Tsushimaで対馬に行こう。
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【PS4】Ghost of Tsushima (ゴースト オブ ツシマ)

【PS4】Ghost of Tsushima (ゴースト オブ ツシマ)

  • 発売日: 2020/07/17
  • メディア: Video Game
Ghost of Tsushima Launch Edition(輸入版:北米)- PS4

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  • 発売日: 2020/07/17
  • メディア: Video Game

日本最古のインスタグラマー境井仁のススメ【Ghost of Tsushima】

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自撮りのお悩みあるところ!
インスタ侍ただいま推参!!!


Ghost of Tsushima、面白い以上にフォトモードが話題ですね。自分もフォトモード起動してる時間の方が長いかもしれません。
しかしながらフォトモード、国産ゲームにはほとんど搭載されていません。そのため、話題になったから購入したはいいもののフォトも撮り方がわからない……。とガッカリしてしまう人もいるでしょう。っていうかアサクリやってるときの自分がそうだった。

昔はフォトモードなんて搭載されている意味がわからなかった……。

……がっ!!!

なんとなくコツを掴むと途端に写真が楽しくなる!!!

というわけで、フォトモード完全初心者向けの簡単にクオリティを高くする講座記事です。


これが…………
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こうなる!!!
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そんなお手軽技です。

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